最近の日本の一般家庭では電気釜でご飯を炊いている。
釜で飯を炊いていた時代は、炊き上げたご飯を木製の「おはち」に入れていた。
「おはち」に入れたご飯は常に適度な湿気をもっていた。
今でもすし屋、旅館などでは「おはち」を使っている。
もち米を蒸し上げると、タイ人は素早く竹で編んだ笊のような器に入れる。
この器は、もち米の乾燥を防ぎながら、適度の湿度を保つのでもち米の保管に最適なようだ。
蒸したもち米を弁当箱のような密閉した容器に入れると米がびしょびしょになってしまう。
この器に入れれば、いつでもちょうどよいお湿りが保たれる。
いろいろな形、大きさの容器があるが、一人前の容器だと小さな茶筒ほどの大きさだ。
細い竹を編んで茶筒を作り、其処に蒸したもち米を入れたと思えばいい。
同じ形の笊をプラスチックで作るのは簡単だ。
だがプラスチック製のものはない。
竹の笊を模したプラスチック製の笊はあるので、もち米を入れる器があってもよさそうなのにない。
ありそうでない。
竹ならもち米の余分の水分を吸い込み、もち米が乾燥し始めると竹はもち米に水分を与える。
こうしてもち米は常に適度な水分を保つことになる。
プラスチックではこのような働きができない。
伝統的な容器が消えない理由がここにある。
「ヌチャナート、食べ終わったなら、この器をどうやって洗うの?」
「そんなもの、洗わないわよ。」
「えっ!?」
「洗う人なんていないわ。10年だって一度も洗わない」
「???!!!」
信じられない話だ。
そんなことを知っていたらタイのレストランでもち米を注文しなかっただろう。
レストランで出される器の中には、黒光りしているものがある。
あれは手の油が染み込んでいたのだ??
長い間の経験から、タイ人は器を洗わなくても病原菌が発生することがないのを知っているのだろう。
お茶碗でご飯を食べても、茶碗にはご飯粒の3つや4つは容器に残るだろう。
竹の器にいれたもち米は、器にこびりつきやすい。
10粒以上のご飯粒が残る。
そんなご飯粒も熱帯の暑さで直ぐに乾燥してしまう。
容器を逆さまにすればポロリと落ちる。
竹の網目にしがみついているご飯粒はスプーンでこそぎ落とす。
竹は乾燥してしまうので細菌が増殖することはない。
その後に、またすぐ熱いもち米を入れる。
洗わない容器だが、熱い蒸したてのもち米で熱消毒される。
だから、洗わなくとも微生物的には安全な容器なのだ。
どうやら器を洗わなくとも安全なのだと理解できても、日本人の感覚では器を洗わないことは許せない。
どうしても洗いたくなる。
もち米を入れた容器を水洗した。
それを台所の棚に乗せて乾燥させようとした。
ヌチャナートがそれを見て言った。
「そんなことをしちゃ駄目よ。臭いがでるわ」
うーんそうなのか。
「表に出して干してよ」
タイなら洗っても直ぐに乾くだろう。
でもどうして洗わないのだろうか?
2007/1/21
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