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2007年3月10日 (土)

ヘウォ 慈姑

日本で俺は慈姑を食ったことがない。
食ったことがあるかもしれないが、「これがクワイ」と意識して
食った記憶がない。料理本を見てクワイを料理した記憶があるが、
旨くなかったので慈姑を食った記憶から遠ざかっている。
俺は慈姑を食ったことがないと言っても過言ではない。

アメリカでは慈姑は中華料理の基本材料だ。アメリカ人の書い
た中華料理のレシピーを見るとあちこちに慈姑
を使っている。
アメリカ人が使う慈姑は缶詰だ。アメリカ人は慈姑のことを
water chestnutと呼んでいる。缶詰になった慈姑は500円玉
ほどの大きさで2-3ミリの厚さの薄切りだ。
水煮だからそれを食べても味がない。ポキッと割れる。
俺には旨いとは思えない。逆に言えば、味がないからどんな味
でも染み込んで食べられるということだ。

タイ人も慈姑を食べるだろう?と推定していた。タイの市場に
慈姑があったかどうか記憶が定かではない。
市場で慈姑を売っているのを見たことがないようだ。
売っていたかもしれないが気づかなかっただけかもしれ
ない。
そう言えば日本にあるタイの食材店で缶詰になった慈姑を見た
ことがあるような気がする。
たしかラベルにはタイ文字の隣に英語でwater chestnutと書いて
あった。これはタイにも慈姑がある証拠だ。
タイの市場にも慈姑があったのだろうが、気づかなかっただけらしい。

慈姑の季節、旬はいつなのか知らないが日本で慈姑を見ると
ヌチャナートに「あれを買おうか?」と言う。
なぜ慈姑のことを「あれ」と呼ぶのか?
その理由は簡単だタイ語で慈姑のことをなんと呼ぶのか知ら
ないからだ。ヌチャナートも慈姑を知らないらしい。
いつも「いらないわ」と答える。
「料理方法がわからないわ」なんて言ったこともあるかもしれない。

笊に山盛りになった慈姑が「一山100円」であった。
「あれ、買いましょうよ」ヌチャナートが慈姑を指さして言った。
どうやら見たこともない、知らない食べ物に挑戦したくなったようだ。

家に戻るとヌチャナートは慈姑をしげしげと見ていた。
「これって蓮の根ではないわよね?」それを聞いて、俺はちょっと
笑いかけた。
「違うよ。水の中にあるけど、蓮じゃないよ」
「ああ、わかった。蓮みたいに水の中で育つ奴でしょ。ヘウォじゃ
ないかしら」
生の慈姑をヌチャナートは齧った。おいおい、大丈夫かよ?!
「あら、美味しいわよ。食べて御覧なさい?」
俺も釣られて生の慈姑を齧ると、ほんの僅かな甘味があって
いい味だ。
「これはヘウォよ。タイにもあるわ。タイのヘウォはこんな大きく
ないわ。もっと小さいのよ」
人間と言うのは面白いもので、「ヌチャナートが正しく理解した」と
俺は確信できるのだ。ヌチャナートとの出会いの時もそうだった。
言葉が通じ合わないのに、ヌチャナートが話すタイ語だけは
分か
った。苦労して解答した数学の問題は答えを見なくても
「間違っていない。正当だ!」と確信できるのと同じ
ような感覚だ。

タイ語で「慈姑のことをヘウォという」のだと、辞書で調べないと、
確認しないと俺は満足できない。俺の頭は外国語は耳で覚える
よりも目で覚えるのが得意だ。俺は手元にある英タイ辞書を取り
出した。俺は日本で売っているタイ語の辞書は高くて買えない。
買ってもいいのだけど、買う気にならない。語学に辞書は必須
だと分かっているけど買う気にならないのが矛盾している。
タイで売っている英タイ辞書は安いから何種類も買ってきて、
これを使っている。これらの辞書には問題が一つある。
製本が悪い。印刷が悪いのもある。今の日本では考えられない
が文字がか
すれているのもある。
インディアンペーパーのように薄い紙ではなくて普通紙に印刷
してあるから語彙に比して分厚くなる。
Water Chestnutを調べたが訳語はない。別の英タイ辞書でも
載っていない。通常はこの英タイ辞書で間に合うのだが、日本人
がよく使う単語は英タイ辞書には載っていない。
これがこの辞書の限界なのだ。その代わり、英語国民が良く
使う言葉は載っているはずだ。
しょうがない。これもやはりタイで買ってきた日タイ辞書を取り出した。
二年ほど前から小型の日タイ辞書が一般書店でも売り出された。
さすがだ。日タイ辞書には慈姑が載っていた。タイ文字でヘウォと
書いてある。
慈姑のことをタイ語でヘウォと言うことが確認できた。
R0018797pct20 「ヌチャナート、これはヘウォだよ」
「ああそうなの。これを煮てあげるわ」

翌朝、鍋の中に沢山の慈姑がある。ひとつ摘んで食ってみた。
まるで栗のような歯ごたえだ。栗は薄黄色だがこれは白い。味も栗のような上品な甘さがある。
これは結構旨い味だ。英語国民が「水栗」と呼ぶのが分かる。
これはまさしく「水中の栗だ」。
ヌチャナートは塩をちょっと入れて水煮にしただけだと言う。
「皮を剥いて、砂糖を加えましょうか?」
「俺は慈姑の食い方を知らないんだ。わからないよ」
砂糖を加えたら甘味がまして美味しいかもしれない。
「あたしも食べ方を知らないのよ。タイの慈姑は小さいのよ。」
小指の先ほどの大きさらしい。俺はタイ人は慈姑をアメリカの
中華料理のように調理するものと思っていた。
今度、タイに行ったら、タイ人が慈姑をどのように食べるのか
観察してみよう。

ああ、写真がピンボケだった。
いまどき、ピンボケの写真が撮れるなんて珍しいカメラだ。

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2007/3/9

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