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2007年10月22日 (月)

お坊さんの食事

これはウチの料理の話ではないが、タイの食習慣を考える上で、
タイのお坊さんの食事を考察すると面白い。

タイのお坊さんは食事を作らない。もちろんお坊さんだって腹が
減るから飯を食う。お坊さんは自分では食事を作らないのに、
どうやって生きているのだ?
それは在家の人々から寄進される食事をお坊さんは食べている
から生きていける。
毎朝、お坊さんは家々を回って食事を貰って寺に帰る。
貰うというと乞食になる。お坊さんは在家の人々のために
「食事を貰ってあげる」と考えている。
在家の人々は寺やお坊さんに食事を寄進することで来世の幸せ
を願っている。寄進したくても受け取ってくれる人がいなかったなら、
寄進はできない。
お坊さんは在家の人々の寄進を受け取ってあげる。
寄進を受け取るのは宗教行為だ。物乞いをして食事を貰っている
のではないから、食事を貰っても「ありがとう」とは言わない。
言う必要もないし、言ったらおかしなことになる。
言葉は悪いが、食事を寄進するのが在家の仕事、食事を貰って
あげるのがお坊さんの仕事と考えることもできる。

Monks

自分ひとりで食べきれないほど食事が集まる。
寺には病気、怪我、老齢などいろいろな理由で家々を回れない
お坊さんがいる。そのようなお坊さんに食事を分け与える。

食事を受け取るお坊さんはアルミなどでできた壷を抱えている。
この壷に食事を入れさせる。新しく根付いたタイの習慣として、
食事はポリ袋に入れ、風船のように丸く膨らませて輪ゴムで縛る。
こんなポリ袋が壷の中に溜まっていく。
おいしい熱々の料理を寄進する人がいる。寄進した人は良い
ことをしたと満足しているが、受け取ったお坊さんは大変だ。
料理の熱がアルミの壷から手に伝わり低温火傷になる。
寄進する人はほんの少しの食事と思っている。これが10軒とか
30軒の家から寄進を受け取ると壷に入りきれない
量になる。
かなり重たいが、この壷を肩に担ぐわけにはいかない。
壷を手で抱えて、ゆっくり歩かなくてはいけない。
黄色い僧服を着て走っているお坊さんを見たら、タイ人でなくても
吃驚する。もう十分に食事が手に入ったからと言って寺に戻る
というわけにはいかない。この先にもお坊さんがくるのを待って
いる人がいる。僧侶の役目としてその人からも食事を貰ってあげ
なくてはいけない。
重い壷を抱えながら、お坊さんは次の家に向かう。

これは富裕層が住む地域に建っている寺のお坊さんの話だ。
貧困地域にある寺のお坊さんは寄進される食事が少ない。
寺によって格差がある。

以前は毎朝4,5人のお坊さんが一列になって来るソイ(路地)を
知っている。そのソイには最近、お坊さんが来ない。
寄進をする人が少ないので労働対効果が悪いのでお坊さんは
来なくなった?
あっちのソイの家の食事は美味しいが、こっちのソイの食事は
不味い。それで来なくなった?
理由はわからない。

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2007/10/21

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