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2007年2月10日 (土)

小さな帆立貝

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小さな帆立貝があった。ヌチャナートがこれを買いたいと言う。
俺はこの貝をつかってスープかシチュウにするのだと思った。
多分、赤いスープだ。
唐辛子の辛味がきいて、青い葱などが入っている料理を作るのだろうと想像していた。

出されたものは帆立貝を茹でただけだった。
それに、ナンプラ、レモン、唐辛子、長ネギを加えたソースがついている。
ソースを掻き混ぜる。
小さな帆立貝だから簡単に身が外れる。
箸で身を摘んでソースにつけて食べる。

「茹でた貝をソースにつけて食べる」食べ方は世界中にある。
国によってソースの味が違う。
このソースはタイの味だ。
日本だったなら、醤油にレモン等を入れたポン酢あるいは塩とレモン汁などで食べるのだろう。

2007/2/9

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食の常識

誰でも自分がやっていることは普通で常識の範囲内のことだと思っている。
食でも同じだ。
自分が食べている方法は普通のやり方だと思い込んでいる。
他の人から見るとそれはおかしな食べ方になる。

例えばこんなことを欧州の何処かで目撃した。
日本人の若い男が火を通さないウインナーソーセイジとパンを噛っていた。
それを見た二人の若いアメリカ人の女が顔をひかめながら、気持ち悪そうに
日本人の男がウインナーを食べるのを見ていた。
日本人の常識ではウインナーはすでに加熱処理されているのだから、そのまま食べてもいい肉製品だ。
野獣のように生肉を噛っているのではないと考える。
ウインナーの仲間の肉製品であるロースハムは加熱しないでそのままサンドイッチにしているではないか。
だからウインナーを店で買ってきたまま丸噛りをしてもおかしいことではない。
このように日本人は考える。
アメリカ人の常識ではウインナーやフランクフルトソーセイジは炒めるか茹でて温かくしてから食べるのが普通なのだ。
アメリカ人から見るとウインナーを加熱しないまま食べる日本人の行動は異端なのだ。
考え方、意識の差はこんな所にも表れるのだ。
それを見て俺は一人でにやっと笑ってしまった。

アボガドに醤油をつけると美味しいと書いたことがある。
メキシコ人から見ると、醤油をつけながらアボガドを食べている日本人はアボガドの美味しい食べ方を知らないと軽蔑するかもしれない。

タイ人は未熟の青いマンゴーを好んで食べる。それが彼等の常識だ。
日本人は完熟したマンゴーを食べる。これが日本人の常識だ。
オレンジジュースに塩を入れるのがタイ人の常識だ。
塩味のあるオレンジジュースなんて日本人の常識外だ。

刺身は日本人の常識だ。
魚の食べ方で刺身ほどうまい食べ方はないと日本人は考える。
欧米人の考えでは魚の生肉を食べるなんて考えられない。

自分ではおかしなことをしていないと思っているが、タイ人からみれば俺はおかしな食べ方をしているかもしれない。
食と言うのは楽しむものだから、自分が美味しいと思う方法で食べるのが一番いいのではないかな?
違うかな?

2007/2/9

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2007年2月 8日 (木)

高菜の創作料理

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高菜の漬物をシチュウにしてしまいました。
日本人は漬物を味噌汁の中に具として入れて食べるなんてことやりません。
高菜の漬物を豚肉と一緒に煮込むなんて発想はタイ人だからできることです。
外国人の発想ですね。
彩りはそれほどよくないですが、食べると美味しいですよ。
「ああ!高菜もこうやるとこんな味になるのだ!」
と驚きます。
思いもよらない料理を出されると、本当に面食らいますね。
高菜が嫌いな人でもこの料理なら大丈夫かもしれません。
驚き、呆気にとられ、しまいには笑い出してしまいました。

タイ人には当たり前の料理ですが、和食のレストランでは創作料理になるのでしょうね。

2007/2/8

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クワヌア

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腹が減ったが、ヌチャナートが洗濯を終えるまで待っていた。
あんまり飯を食うといけない。
丁度良い。
飯ができるのを待っていた。

今日の飯はこんな飯だ。
飯の名前を聞いたら「クワヌア」と言うそうだ。
辛いとは思わないが顔から汗が吹き出る。
汗をかくのは辛い証拠だ。
美味いと思うから、黙々と食べている。
こういう時は辛いとは感じない。
ヌチャナートは俺が汗をかいているなんて思っていないらしい。
「辛くないでしょう?」
「・・・」
黙ってヌチャナートの方を見る。
「あら、汗をかいているじゃない。辛いのね」

今は寒いので薄荷の育ちが悪い。
小さな薄荷の葉が少しだけ入っている。
薄荷の葉を噛むと良い香りが口の中に広がる。

この料理はタイの味、タイの香りだ。

2007/2/8

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塩っぱい

タイの料理は辛くて、辛くて閉口する。
俺もタイ料理を食べ始めた時は、辛さのために他の味や香りが分からなかった。
今でもそれほど味の違いがわからない。
分かろうともしていない。
タイ人はあの辛さのなかから微妙な味の違いを見分けるのだ。
俺は味音痴ではないが、いちいち味を吟味しながら食べるのが面倒なっている。
味を評価しながら食べていると、食事が仕事になってしまう。
食事というのはゆったりと、音楽を聞きながら食べる。
あるいは腹が減っていたなら、がつがつと食べる。
それが美味しい食べ方だ。
味を考えながら、以前に食べた物を思い出して比較しながら食べていたのでは食事の楽
しみが半減する。
グルメと称する人を見ると、俺は「ご苦労さん」と声をかけてあげたくなる。

ああ、そうそうタイ料理の話をしようとして書き始めたのだ。
タイ料理は辛すぎて他の味が解らないと書いた。
その続きを書かなくてはいけない。

屋台のようなレストランで店の女がソースを作っていた。
唐辛子を沢山いれた。
「うわー!スゲェー量だな」と驚きながら女の作業を見ていた。
女は味見をしてちょっと考えながら調味料を加えていた。
「あの辛みの中にある味の違いを女は見ることができるのだ!」
俺は感心し驚いた。

俺が使ったタイ語の教科書にこんなシーンがあった。
白人の女とタイ人が食事に行く。
「この料理は塩っぱい」とタイ人が言う。
白人の女は「塩っぱい」と言う単語が解らない。
タイ人は英語で「salty」と言うと白人は理解した。
俺はこのシーンを勉強する時、いつも不思議に思った。
白人の女は辛さで舌が痺れて塩味なんて解らないはずだ。
それなのに、「そうね」とかなんとか言って会話を続けている。
これはタイ語会話の教科書だ。
想定会話の見本だから、白人の女が味が解ろうと、解るまいと関係ないことだ。
そんなことは解っているが、このシーンになると俺は何時も落ち着かない気持ちになる

俺がタイ語会話の本を書くならこのシーンは「辛くて味がわからない」と書くだろう。

2007/2/8

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台所のゴミと環境

料理を作れば当然ゴミがでる。
調理の過程で出る野菜の切りくず、魚の頭などと言ったゴミは通常のゴミとして捨てられる。
出来上がった料理を食べ終わると、皿が汚れる。
皿には油、かけすぎた醤油やソースの残りなどが付いている。
煮物などの場合は汁が残っている。

今までは汁は流しに捨てていた。
汚れた皿は水でさっと流してから洗っていた。

食べ終わった器は紙などで拭いてから洗うと環境に優しいといわれた。
それを聞いた時、俺は思った。
「拭き取った紙はごみ焼却場に行くのだろう。それはごみ焼却場の負担を大きくするだけだ。
洗い流すと汚れは下水処理場に行き、そこで浄化される。
焼却場の負担が大きくなるか、下水処理場の負担が大きくなるかの差だ。
どうやってもコストも環境への負担は変わらない」
このように思っていた。

どういう風の吹き回しか、食べ終わって汚れた皿を紙で拭いてから洗うようになった。
どうしてそんなことをやり始めたのか覚えていない。
今はそれが習慣になっている。
皿を拭き続けているうちに考えが変わってきた。
「やはり、皿を紙で綺麗にしてから洗うほうが環境にやさしいのではないか?」
そんな風に思えるようになった。
理屈ではない。そう感じるだけだ。

汚れた皿をそのまま洗い、汚れをそのまま下水に流すほうが簡単だ。
汚れた水は下水処理場までの長い道のりにある全ての下水管を汚しながら進む。
下水管には油脂分が付着して水の流れが悪くなる。

皿の汚れを紙で拭けば、紙はそのまま焼却場に運ばれる。
家から焼却場までの環境を汚すことはない。

汚れた紙を焼却する費用と、汚れた水を浄化する費用ではどちらが安いのか俺には分からない。
なんとなく思うのだが、汚れた紙を焼いてしまう方が、汚水を処理するより金がかからない気がする。
汚水処理には薬品も必要だし、ろ過も必要だ。
水分を含み燃えにくいゴミでも乾燥したゴミと一緒ならいつかは燃える。

食べ終わった皿は紙で拭いてから洗う方が環境に優しいのではないかという気がしている。

2007/2/7

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2007年2月 7日 (水)

チキンスープ

このチキンスープの作り方を教えろと言われても教えられない。
ケチではない。教えるほどのことはないからだ。
鶏肉を煮たお湯に塩を入れただけなんだ。
ねっ!教えるほどのことはないでしょ。
塩加減だけが味の決め手だ。
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これに長ネギを加えて香りづけした。
こんな簡単な料理だけど、これは飽きがこない。
鶏肉を茹でたお湯を捨てていませんか?
このスープを一度作ったなら、もう絶対に鶏肉を茹でた後のお湯を勿体なくて捨てることができなくなります。
表面に脂が浮いているでしょ。
この脂が熱を逃がさない。
熱いうちにこのスープを食べてしまう。

今日は他に料理があってチキンスープは要らないのなら、残しておけばいい。
脂が固まったなら、静かに脂を取り除く。
これもいい味がでているんだ。
このスープでいろんな料理ができる。

2007/2/6

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2007年2月 6日 (火)

残飯整理

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この飯は残飯だ。
出来上がった時は緑の豆が色鮮やかだった。
常温にだしていたが、まだちょっと綺麗な色が残っている。
豚肉と豆をオイスターソースで炒めたものだ。
辛味はない。
これなら辛さに弱い日本人でも食べられる。
いつも新しい料理を食べているわけではない。
時々、このように残飯整理をする。
大金持ちの家庭ではそんなことしないのだろうか?
残飯の方が美味しい料理がある。
前の晩に食べたカレーを温めなおして翌日食べる方が美味しい。
おでんなんかもっと味が沁みて美味しくなる。
大金持ちは温めなおしたカレーの美味しさを知らないかも???
気の毒だ。
金持ちにはなりたくない!なーんちゃって!
この料理は色合いが命だ。
色が鈍くなったので、目で見る美味さがなくなった。
器の底に溜まっている汁の美味さは変わらない。
これは残飯だけど、美味しさは合格だ。

2007/2/6

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2007年2月 5日 (月)

ゲンマラゴ パパイヤのシチュウ

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腹が減っていた。気が付いたら昼飯もろくすっぽ食わないであれこれをしていた。
やっと用事が終わり、駅から家に電話した。
「俺は今、駅にいる。まもなく帰る」
「早く帰ってきて!」
飯を作っておいてくれとは頼まなかったのに、家に着くとヌチャナートはちゃんと飯を作っておいてくれた。
玄関の扉を開けるとタイ料理の臭いがした。
この臭いを嗅ぐと食欲がでてしまう。
近所の人には異臭だろう。
俺にとってはこの臭いは食欲を満たしてくれる有難い臭いなのだ。
ヌチャナートの手料理に慣らされている。
そうかと言っても、近所の家から流れてくる里芋を煮る臭いを嗅いでもやはり食欲がでる。
日本人の味覚を忘れているわけではない。

腹が空いているので熱いゲンマラゴを慌てて食べた。
唐辛子の刺激が鼻に来る。
思わずくしゃみがでた。
これはいけない。もっと落ち着いて食べよう。
「落ち着け!落ち着け!」と自分に言い聞かせながら食べた。
ゆっくり食べるとそれほど辛くない。
スプーンで鶏肉と青いパパイヤの薄片を掬ってご飯にかける。
ヌチャナートは俺の食べ方を黙ってみている。
いつもは「これはこうやって食べるのよ!」と煩い。
俺は自分流に食べたいのだ。
マナーに反してもいい。
普通の食べる順序とは異なってもいい。
俺が美味しいと思う食べ方で料理を食べたいのだ。
今日はヌチャナートがお勧めする食べ方と一緒だったみたいだ。

腹が空きすぎている時は意識的にゆっくり食べる必要がある。
ゆっくり食べると静かに満腹感がでてきた。
家庭料理を食べた満足があった。

2007/2/5

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