カイトート 卵焼きタイ版
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博物館で縄文時代の土器などを見ていた。
その中に、窪みがついた平たい皿のような石と片手で握れる石が
あった。石は丸く削られている。人工的に削ったのではなく丸い石を
使っていたのかもしれない。写真撮影は禁止されているので、写真
はない。大きな石の硯と丸い石と考えればいい。
説明によると、この石の皿の上で叩いたり潰したりしたとなっている。
穀物を潰して粉にしたとも考えられる。
叩く、潰すというキーワードから俺の想像はとんでもない所に飛んで
いった。
タイ料理を作るには叩く、潰すという工程は避けられない。
パパイヤその他を叩き潰して作るサラダ、ソムタムがその典型だ。
縄文時代は今のようにマッチ一本、スイッチをポン、捻るだけで火力
を得ることが出来なかった。火も煮る為の土器も貴重だったから、
火を使わない料理も多かっただろう。縄文人もこの石皿の上に野菜
を乗せ、叩き潰す料理を作っていたのではないか?
それはソムタムに似ている!と俺は想像した。
ここまで想像して俺は笑った。
こんなことを考えるのはタイ人と一緒に生活しているからだ。
日本人と一緒なら、絶対にこんな想像はしないだろう。
縄文人の料理ってどんな料理なのだろう?
貝や魚や動物などの獲物は毎日取れるわけではない。
現在のように食べやすい野菜はなかった。
品種改良がなされていない、野草に近い物だったはずだ。
硬い野草などを食べるために、ソムタムのように叩いて食べていた
のではないかな?
そう考えると縄文人は和風ソムタムを食べていたと言う仮設が成立
しそうだな。
2009/3/31
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ウチは小さな紫玉葱をよく使う。
辛味が少なくて甘味がある玉葱だ。タイの食材店で買ってくる。
この玉葱をニンニクや西洋玉葱、ジャガイモと同じ笊に入れてある。
そうすると、ジャガイモなどの下に入り込んだ紫玉葱は忘れられて
しまう。気がつくと紫玉葱は芽を出している。
せっかく芽を出したのだから、鉢に植えてあげる。
玉葱という野菜は元気だから、ぐんぐん大きくなる。
万能葱に似た細い葱ができる。
これが凄く便利なのだ。ちょっと料理に青味が欲しいという時はこの
葱を使う。冷奴に乗せたり、いろいろな使い方をしている。
西洋玉葱も芽を出したなら鉢植えすれば育つと思うがやったことが
ない。葱が大きくなりすぎて取扱が面倒だと思う。
タイの紫玉葱を使う人は少ないだろうが小さな西洋種の玉葱なら
使う人が多い。もしそこから芽が出たら、鉢植えしてみよう。
水をやっていれば育つ。虫もつかないみたいだ。
ちょっとした家庭菜園になる。
2009/3/30
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ヤキソバの春雨版と思えば良い。
ちょっと古くなったアスパラと春雨を炒めた。
見た目はそれほど美味そうではない。
唐辛子が入ったナムチムをちょっと加えて食べると、これがいい味
になる。半分で止めようと思っていたが、夢中で食っていたら全部
を食ってしまった。
俺は唐辛子を加えたが、日本で普通の食事をしている人は唐辛子
を加える必要はないと思う。俺は唐辛子がないと食えなくなっている
から唐辛子を入れた。
このパットウンセンは焦がさないように作ってある。
これはこれで美味いのだが、上手に春雨をおこげにするともっと
美味いのではないかな?パリッとしたおこげの部分と柔らかな部分
の組合せもきっと美味いと思う。
2009/3/29
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この魚の名前を文字で書くとプラニンとなるが、会話ではパーニン
と聞こえる。英語ではNile tilapiaと言う。エジプトのナイル川とか
その周辺が原産だ。
日本語ではイズミダイとかチカダイという。姿も鯛に似ている。
タイでは何処でも見られる魚だ。
この魚は日本の皇室がタイの王室に贈ったものが普及したそうだ。
つまり、タイの河川にとってパーニンは外来魚だ。
俺が知っているタイのお堀には沢山の鯰がいた。
今はパーニンだけだ。堀の傍に警官がいたので質問した。
「昔は鯰だけでしたよね。今はパーニンだけですね。
どうしてですか?」
「食用にするために夜中に鯰を取る人がいたんですよ。」
本当にそうかな?それじゃぁこのパーニンだって密漁されて食べら
れちゃうのではないか?俺が思うに
1 パーニンは水の浄化に役立つので行政が魚を入れ替えた。
2 誰かが掘りに入れた外来魚のパーニンが鯰を駆逐した。
そのいずれかだろう。
パーニンを塩漬けにした。
暑いタイでは二三日で食べられるようになるが、日本では一週間
ほど漬けておく。塩漬けにすると魚から水がでる。
その水は捨てない。こうすると長期間保存できる。
食べる時は水に漬けて塩出しをする。
腹とか切り込み部分をよく洗って塩を落とす。
後はじっくり唐揚にする。
そこに唐辛子、ニンニク、紫タマネギなどをのせる。
これを白いご飯にのせると、塩辛さがちょうどよくなる。
2009/3/28
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今まで日本で買えるマンゴーは完熟の甘いものだけだった。
緑の未熟のマンゴーを見てヌチャナートは大喜びして買った。
タイでは未熟の硬いマンゴーに塩と唐辛子をつけて食べる。
甘味がなく、硬いマンゴーは はっきり言って美味いとは思わなかった。
今日は未熟のマンゴーのサラダを作ってくれた。
マンゴーの皮を剥き、ナイフで実を叩くようにして何本もの筋を入れる。
筋が入った部分を削ぐと薄い切片ができる。
それに、ナンプラや紫玉ネギ、唐辛子などを加える。
これが酸っぱくて、美味い。
「これ食べると、便秘に効くわよ」
今までのタイ料理の経験から、これは便秘に効きそうだと思った。
食べて3時間位したら、トイレに行きたくなった。
薬効があることが実証された。
いろいろな便秘薬があるが、薬には副作用があるかもしれない。
食事をして、自然に排便できる薬膳の方が体に優しいのではないかな?
2009/3/27
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タレなどがかかった甘味のある料理をヌチャナートは好まない。
甘い菓子なども余り食べない。
ウチの料理には辛い物は多いけど甘いものはない。
先日、ジャーキー風○○と称した冷凍肉製品を買って来た。
酒の肴を探している時、それを思い出して冷凍庫から取り出して
食ってみた。鰯の味醂干しの鰯を薄切り豚肉にしたと思えばいい
甘い味つけだった。俺はビーフジャーキーの塩っぱい味を想像して
いたから、味醂干しのような甘い味にがっかりした。
「不味かったなら、工夫して食べれば良い。買った食べ物を無駄に
してはいけない」薄切り肉に醤油を塗って炙ってみた。
塩味を強くした分、食べやすくなったが未だ甘い。
多分、「不味い」と言うだろうと想像しながら、ヌチャナートに試食
させた。薄切り肉をちょっと摘んで食べた。
「あらっ!美味しいわ!また買いましょうよ」
普段は甘い料理を作らないのに、このジャーキー風の肉は美味い
と言う。意外な反応に驚いた。
「これはムウペンに似ているわ」
ムウペンというこれと似たような食べ物がタイにあるらしい。
言われて見れば、見たような気もする。
このジャーキー風○○の味はヌチャナートにとってはタイを思い出
させる味だった。育った環境の差で味に対する反応がこんなにも
違うのに驚いた。
2009/3/26
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今は甘塩の塩鮭が沢山あるが昔はそんなものなかった。
昔の鮭は塩っぱかった。
冷蔵庫なんてないから、常温で長期間いたまないようにするため
には塩を沢山使わなくてはいけなかった。
俺は鮭をシャケと呼んでいた。塩鮭はシオジャケと訛った。
シオジャケは塩っぱい物の代表だったと言ってもいい。
その当時の笑い話だ。
先生「海の水はどうして塩っぱいのでしょうか?」
生徒「シャケがいるからです」
これで当時は笑えた。
甘塩のシオジャケが普通になってしまった現在ではこんな笑い話を
しても笑わないだろうな。
2009/3/25
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スーパーのチラシを見ていた。
「卵には産卵日を表示してあります。」と書いてある。
偽装食品、産地を偽るなど食品疑惑事件が沢山起きた。
こうなるとなにもかも疑いたくなる。
人間が産卵日をいれるのだから産卵日の偽装もありうる。
明日の日付の卵が市場に出回って偽装がばれたなんて事件が
起きるかも。
鶏が卵を産んだ日を自分で殻に書けるように訓練すれば産卵日の
偽装はなくなる。卵にレーザー光線をあてると産卵日がわかる
なんて技術がないかな?
これが出来れば世紀の発明だ。
卵の殻の表面にある凸凹を解明すると、そこに産卵日が書き込ま
れているかもしれない。それを解明したらノーベル賞ものかな??
最近、卵を使ってなにか面白い物が作れないか考えている。
まだ、「これは良い」と自画自賛できるものは出来ていない。
2009/3/25
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この鮭と飯の写真はなんとなくちぐはぐだと感じるだろう。
そうです、タイ人の盛り付けだからです。
日本人が盛り付けたなら、焼き魚は一つの皿にのせる。
その隣に茶碗に盛った飯。そして漬物と味噌汁がある。
ウチじゃ焼き魚と飯が同じ皿にのっている。
それにステンレスのレンゲと割箸がついている。
漬物の代わりにナムチムがある。
まず割箸だが、ウチでは割箸を何度も使う。
一度だけ使って捨てることはない。ケチだからではない。
エコとかもったいないという感覚でもない。
自然にそうなり、何度も繰り返し使うのが習慣になっているだけだ。
箸の置き方に違いがあるのに気づいたかな?
皿の上に箸を置く場合、日本人は横に置くでしょ。
タイ人や中国人は縦に置くのです。
これに理由があるか?理由なんてないと思う。
レンゲで飯を食う。日本人から見るとおかしな食べ方だ。
皿に盛った飯を食うのに、箸は使いづらい。
スプーンの方が食いやすいから、レンゲがあるのが当然だ。
塩鮭の食べ方だが、日本人は塩鮭の身を食べやすい大きさに箸で
崩す。それを茶碗の飯の上に乗せる。
塩鮭を乗せたままご飯を一口分、とって食べる。
これが日本流の食べ方だが、タイ流の食べ方は違う。
塩鮭の身を箸で崩すのは同じだ。それを更に崩して小さくする。
小さく崩した塩鮭をご飯と混ぜる。そこにナムチムを加えて味付け
をする。レンゲでご飯を掬って食べる。
これがタイ流の塩鮭の食べ方だ。
タイ流の食べ方も旨いよ。ナムチムは辛いから、辛い物が苦手な
人はナムチムを除けば良い。
ご飯にシャケのふりかけをかけて食べている感じに似ているかな。
2009/3/25
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なぜかわからないがトンカツが食いたかった。
車の中で脂っこい食事の話をしていたせいかもしれない。
ヌチャナートの観察では日本人は脂っこい食べ物を好むとなって
いる。食事の時間になった。
「何、食べる?」
「トンカツ」
なんだかんだと言ってヌチャナートはトンカツを作りたがらない。
その代わりに豚肉の揚物を提案してきた。
タイ語でスペアリブの揚物と言ったのだろうが、俺には「豚の
なんとかを揚げた物」としかわからなかった。いつものことだ。
正確には何が出てくるのかわからないまま、俺はヌチャナートの
提案を受け入れた。
出来上がったものを見ると、スペアリブの唐揚だ。
この唐揚をナムチムにつけて食べると旨い。
ほどよく味付けされた肉も旨いが、肉よりも骨の周辺にある軟骨や
筋の方がもっと旨い。軟骨のコリコリした感触がいい。
骨の周りにある軟骨を齧り、筋を取り除く。
そうすると真っ白な骨だけになる。
その白さを見るとなんとなく達成感がある。
2009/3/24
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人間の背丈以上に伸びるパパイヤが草だと聞いて驚いた。
「本当かよ?!」調べてみたら草に分類されると書いてあった。
「えっ!それじゃヌチャナートが大好きなソムタムに使っている
パパイヤは草の実なのか?」驚き呆れた。
バナナも草だから、俺も草の実を食っていることになるな。
バナナの茎を切ると草のような形だ。バナナの場合は草として納得
できる。パパイヤも同じなのかな?木のように年輪なんてないの
かもね。パナナと違ってパパイヤはどうみても外見は木だ。
分類学って面白いな。
ダメかなと思ったウチのパパイヤも芽が大きくなった。
まもなく葉になるだろう。
一つの鉢にヌチャナートは二本の苗を植えた。
パパイヤは雌雄異株と知って二本植えたのだろうか?
両方とも雄か雌だったなら、楽しみにしている実はならない。
何処か遠くから虫が花粉を運んでくれるかな?
場合によっては両性花が出来るらしい。
どうか雄雌の「つがい」でありますように。植物も「つがい」というの
かな?そうでなかったなら、両性花ができますように。
2009/3/24
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「タイカレーを食べるでしょ?」
「・・・・」とくにカレーを食いたいと思っていない。
「食べなさいよ。美味しいわよ。作ってあげるわ」
こんなことを言うのもわけがある。
ヌチャナートは軍鶏を丸ごと二匹買って来た。
冷凍庫に入りきらない。
それでチキンカレーを作ってしまおうと考えたのだ。
大きな鍋でカレーを作っておけば、俺が勝手に温めて食べる。
ヌチャナートの手抜きになる。
それに、軍鶏を腐らすことがない。
現在のタイで鶏肉と言えば、ブロイラーが主体だ。
タイでは軍鶏が多く飼われていて、軍鶏肉も食べる。
軍鶏は昔からタイで飼育されていた鶏だと思う。
カレーがタイで独自に進化した初期からブロイラー技術がタイに
導入される数十年前までのタイカレーに使われていた鶏肉は軍鶏
だったと思う。軍鶏のタイカレーは原始的なカレーだ。
日本では地鶏は高級肉だ。タイの軍鶏は全て地鶏だ。
一般家庭で飼われている軍鶏は残飯やその辺の草むらで虫などを
食べている。運動が多いからだろう。身が締まっている。皮が硬い。
それが軍鶏のいい所なんだろう。
軍鶏を食っていた人には、ブロイラー肉なんて歯ごたえがなくて旨く
ない。昔のタイ人はこんな味を楽しんでいたのだろうと想像しながら
軍鶏のタイカレーを食っている。
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日本でも蛙を売っている店があるのだ。
ヌチャナートが大きな蛙を買ってきた。
今日の蛙は腹を割いてワタを取り除いてある。
大きな蛙だからこうするのか、それとも保存のためにワタを除くのか
わからない。タイで見た小さな蛙の場合、丸ごとシチュウにしていた。
調理している鍋の蓋をあけたら、蛙は腹が丸く膨れ、手足をピンと
伸ばしていた。その姿を見ただけで食べる気がしない。
「蛙、食べるでしょ?」
「いらないよ」
蛙は食用になると知っているが、蛙なんて食べる物ではないという
先入観念がある。自衛隊などのサバイバル訓練で山に入る。
そんな人々の話では蛙はご馳走だという。そんな俺も何度か蛙を
食べたことがある。確かに柔らかで美味しい肉だ。
しかし、蛙は食べる物ではないと思っているから、気持ちが悪い肉
と感じる。
「ファラングは蛙を食べないわよね」ファラングというのは白人という
意味だ。
「そんなことないよ。フランス人は蛙を食べるよ」
「・・・・」
多くのタイ人は米国人もドイツ人もフランス人も同じに見えるから、
フランス人はどうのこうの言われてもわからない。
「油で揚げるわ。食べてみるでしょ?」
「うん」
蛙を唐揚にしてくれた。見た目は鶏の唐揚の小さなものだ。
食べてみると、柔らかな鶏肉の感じがする。
肉に臭みもなく美味しい。黙って出せば鶏肉と間違える。
蛙に対する偏見が蛙を食べるのを妨げている。
タイの田舎では雨が降ると懐中電灯をもって外にでる。
沢山の蛙を捕まえることができる。
市場でも大小さまざまな蛙を売っているので、蛙が食べたくなった
ならいつでも買える。子供の頃から蛙を食べていたヌチャナートには
蛙に対する偏見はない。ヌチャナートにとって蛙は立派な食糧だ。
蛙を食べながらゲテモノってなんだ?と考えてしまった。
日本人は鮫を食べる。タイ人は鮫を食べないから、鮫をゲテモノと
考える。蒟蒻や牛蒡をタイ人は食べないから、それらもゲテモノか?
日本人が食べない野菜などをタイ人は食べる。でもそれをゲテモノ
といわない。どうやらゲテモノは動物性食品に限られるようだ。
民族ごとに食べる動物の範囲が決まっている。その範囲を超えた
ものがゲテモノなんだな。
2009/3/21
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町を歩いているとあちこちで蜂蜜を売っている。
このような蜂の巣を売っていることもある。
蜜をビール瓶などに入れて売っていることもある。
ビール瓶に入っている蜂蜜は砂糖水で薄めてあるから信用できない
とヌチャナートは言う。
町で蜂蜜を売っている人は貧しくても善良そうな人々だ。
この人が砂糖水で蜂蜜を薄めているのかと思ってしまう。
蜂蜜売りで思い出す女がいる。年齢は30代かもしれないが50代に
も見えた。俺につきまとい、蜂蜜を買ってくれという。
そのような物売りが多いので普段は余り気にしない。
しかし、彼女にはなにか切羽詰ったようなものがあった。
彼女は英語を少し話したと記憶している。
俺も出来るだけ丁寧な英語で
「ホテル住いだから、蜂蜜を買うことができない」と話した。
彼女は淋しげな重い足取りで去っていった。
今、彼女はどうしているだろう。
蜂蜜売りをみると彼女のことを思い出す。
2009/2/27
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俺が泊まったホテルの近くで夫婦がプラソムを売っていた。
プラソムと言うのは魚を醗酵させた保存食だ。
日本の熟れ寿司、琵琶湖の鮒寿司と思えばいい。
夫婦はそれを油で揚げて出勤するサラリーマンに売っていた。
大人が掌を伸ばした位の大きさの魚だから、唐揚するには時間が
かかる。中まで火が通るようにするにはゆっくり気長に揚げなくて
はいけない。客が来るのは朝の8時ごろからだ。
それまでに全てを用意しておかなくてはいけない。
俺は早くから酒を飲んでいた。ホテルに戻りまた酒を飲んだ。
酔っ払ってベッドで寝たのはいい。
早い時間に寝てしまったので、目が覚めるのも早い時間だ。
時計を見ると朝の三時だった。
こんな時に限って、完全に目が覚めてしまい、また寝ることができ
ない。しかたがないから、ホテルを抜け出した。
夫婦が商売をしている場所に来た。
もう夫婦は商売の準備をしていた。
五時間後には客がくる。その時のためにプラソムを揚げていた。
店を閉めてから、魚を買い、プラソムを作って、また明日の朝三時
に唐揚を作る。大変な仕事だ。
その場所を訪ねた。もうあの時の夫婦はいなかった。
夫婦の代わりに埃を被った一台の自動車があった。
日本ではこんな風景は当たり前だ。
俺にはこんな所に放置された自動車が壊されずに埃を被ったまま
なのが不思議に思えた。
あの夫婦はどうしているのだろうか?
きっと、何処かに店をもったのだろうと希望的に考えた。
2009/2/27
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これはタイでごくごく普通の店だ。一階が店で二階と三階が住居に
なっているような店を想像してもらえばいい。
その店では食器は上向きに置いてあった。
店の前の通りは交通が激しい。
扉なんてないから埃は店の中に入ってくる。
日本人の場合は、食器を逆様にして埃が食器に入らないようにする。
タイ人はすぐに使えるように、食器を正常な形で棚に置いてある。
俺たち日本人はこれを見てタイ人の衛生概念の低さと考える。
タイ人はこれをどう考えているのだろう。
埃なんて別に汚いと思っていないようだ。
多分、これは真実だ。
こんな経験をした。
飲み水の中に黒い物が浮いている。
「うわーっ!」
こんな水を飲んでいたのかと俺は驚いた。タイ人がそれを見た。
別のタイ人が「どうしたの?」と聞いた。
「埃が入っていただけよ」
そう言って笑っていた。
埃は汚い物だとタイ人は考えていないのだろうな。
2009/2/27
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子供の頃近所に美味しいいなり寿司を売る店があった。
その店は繁盛していた。油揚げの味付けが塩っぱかったと記憶して
いる。
「トーフウ戴いたの。食べる?」
ヌチャナートが話す「トーフウ」はタイ語で豆腐のことだ。
見ると、手にしているのはいなり寿司だった。
油揚げは豆腐を揚げた物だから「トーフウ」に間違いはない。
でも「トーフウ」と言われると油揚げとは別物の感じがする。
いつも辛いタイ料理ばかりだ。辛くない日本の飯を食ってみるか。
ひとつ、食った。子供の頃の感激は戻ってこない。
このいなり寿司は味付けが甘いからか?
それだけではないな。飽食、美食の時代になり、味付けした油揚げ
の中に飯だけを詰め込んだいなり寿司は物足りないと感じるように
なっている。肉や野菜も詰め込んで欲しい。
そんな贅沢な気持ちが沸いている。
最初の一口は甘い料理は美味しいと感じる。
甘い料理は口が疲れる。すぐに飽きがくる。
いなり寿司の中に唐辛子を加えた。すると辛味が甘味を払拭し良い
味になった。
「これなら、食えるな」
次のいなり寿司も油揚げを開き、また唐辛子を加えた。
唐辛子の強い刺激を受けていると、唐辛子がないと飯が食えない。
このいなり寿司が不味いのではない。俺の味覚が変化しているのだ。
いなり寿司に唐辛子というおかしな組合せだが、二つ三つと食って
いるうちに冷たい水ではなくて、熱い緑茶が欲しくなった。
久しぶりに日本の熱いお茶を飲んだ。
これは日本人の食の感覚だ。
俺は日本の食の感覚を取り戻した気がした。
子供の頃に得た、食習慣はいつまでもいつまでも続くのだ。
2009/3/18
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食べ終わったパパイヤの種をヌチャナートが蒔いた。
それが芽を出しぐんぐん伸びてきたところで寒くなった。
俺は一部を鉢植えにして室内に置いた。
人間と言うのは小さい時に学習した記憶に囚われるようだ。
いつでも暑いタイで育ったから、パパイヤを外に置いていても枯れ
ないとヌチャナートは思っているようだ。
俺がパパイヤの鉢を室内に入れると、ヌチャナートは鉢を外にだす。
どうして俺がパパイヤを室内にいれるのか理解できないみたいだ。
ヌチャナートには別の理由があって、パパイヤを室内に入れるのが
イヤなのかもしれない。俺がしつこくパパイヤを室内に入れるので
ヌチャナートは諦めたようだ。
寒さが段々と厳しくなり、屋外のパパイヤは次第に元気がなくなり
枯れてしまった。室内に置いたパパイヤにヌチャナートが水をあげ
ていると思ったら、水をあげていない。一枚一枚、葉が落ちて行き、
とうとう幹だけになった。それでも根は生きているはずだから水を
絶やさなかった。パパイヤは日本の寒さに耐えられないのだと、
ヌチャナートは理解したようだ。もう鉢植えのパパイヤを外に出そう
とはしない。小さな葉が出掛かっている。
これから暖かくなると葉が伸びて幹は成長するだろう。
パパイヤが実をつけたなら、これでソムタムを作るのを楽しみに
している。
2009/3/17
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中国・重慶の警察は居眠り運転を防ぐため、高速道路のガソリン
スタンドに生の唐辛子を配布したそうだ。口にほおばったトラック
運転手の話では「疲れた時には、本当に目が覚めるよ」とのこと。
こんな記事が新聞にあった。
自分で人体実験した結果、眠い時に唐辛子を食べると目が覚める
のは事実だ。一時的に はっと目が覚めるだけで、またすぐ眠くなる
だ。はっと目が覚めた時に、頭を切り替えれば眠くならないのかも
しれない。
唐辛子の種類は多い。新聞では「口にほおばる」とあったから、
重慶の警察が使った唐辛子は辛味の少ないタイプだろう。
俺が使ったのは日本で手に入る唐辛子だ。
しし唐のように辛味の少ないものを、噛んでいると眠気は覚める
かもしれない。止むを得ず唐辛子で眠気を覚ますのも一案だが、
居眠り運転を避けるには十分な睡眠と休息が一番良いだろう。
2009/3/19
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サイフォンという名前の煙草がタイにある。
この意味は「雨降り」だ。
俺は日本の雨の感覚を思い出し、随分おかしな名前だなと感じた。
雨というのは、じめじめして冷たく、雨に濡れると風邪を引く。
日本人にとって雨はどちらかと言うとイヤなもの、迷惑な物だ。
煙草は酒と同じく嗜好品だ。
嗜好品に名前をつける時は、お目出度い名前とか景気のよい名前、
明るいイメージを持つ名前にする。
なんで雨降りなんて陰気くさい名前を煙草につけるのだ!?
煙草が湿気っちゃうじゃないか!
そんな風に感じた。これはタイの煙草だ。
タイ人がよいと感じる名前になっているはずだ。
日本の雨とタイの雨は違う。タイの雨はどさっと降ってピタッと止む。
一日中降り続くことはない。まして一週間もしとしとと降るなんてこと
はない。民家に泊まらないと分からないでしょうけど、夕方に雨が
降るとその晩は涼しくてぐっすり眠れる。
昼間でも雨が降ると涼しくなるから、タイ人には雨は嬉しい物だ。
それだから、嗜好品に「雨降り」なんておかしな名前をつけたのだ。
こう考えると「雨降り」で納得できる。
2009/2/27
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煙草を吸うと肺がんになるから禁煙しろという内容の言葉が何処の
国の煙草にもついている。ここタイでも同じだが、タイのやり方は
もっとどぎつい。手術中の内臓の写真がでている。
赤ん坊が煙たがっている写真もある。
政府がこんなことをやっているのか、政府の命令を受けて煙草会社
がやっているのか知らない。欧米人や日本人がこのパッケージを
見るとどぎついなと感じる。庶民の多くはパッケージを見ることが
ないから、タイ人はどぎついなんて感じない。
彼等は店に行って欲しい煙草の名前と金額を言う。
「サイフォン10バーツ」なんて言って本数単位で煙草を買う。
パッケージごと買うのは金持ちだけだ。店も心得たもので、ポリ袋に
10バーツ、20バーツ分の煙草を入れておく。
庶民の多くはパッケージに接することは殆どない。
2009/2/27
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これは残飯のパッカパオだ。残飯の整理をする。
このパッカパオは唐辛子が利いている。
唐辛子の辛味というのは痛みと同じだ。
毎日毎日、辛いものを食べていると口の中の痛覚が麻痺するの
だろう。慣れだろうか?
辛い物を食ってもあんまり痛いとは思わなくなっている。
辛い物を食うと涙が出てきて、水を飲んでヒィーヒィー言ったもんだ。
いくら辛味に慣れたとは言え、ヌチャナートが「いい辛味」と言う奴
には手を出さない。ヌチャナートも俺が耐えられる辛味の限界を心得
ている。無茶苦茶に辛い物は作らない。
このパッカパオもタイ料理に慣れてない人には辛すぎるのかもしれ
ない。
辛いとか口の中が痛いとは思わないが、汗はでる。
タイ人は辛い物を食っても汗がでない。
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食べ終わったパパイヤの種をヌチャナートが蒔いた。
それが芽を出しぐんぐん伸びてきたところで寒くなった。
俺は一部を鉢植えにして室内に置いた。
人間と言うのは小さい時に学習した記憶に囚われるようだ。
いつでも暑いタイで育ったから、パパイヤを外に置いていても枯れ
ないとヌチャナートは思っているようだ。
俺がパパイヤの鉢を室内に入れると、ヌチャナートは鉢を外にだす。
どうして俺がパパイヤを室内にいれるのか理解できないみたいだ。
ヌチャナートには別の理由があって、パパイヤを室内に入れるのが
イヤなのかもしれない。
俺がしつこくパパイヤを室内に入れるのでヌチャナートは諦めた
ようだ。寒さが段々と厳しくなり、屋外のパパイヤは次第に元気が
なくなり枯れてしまった。
室内に置いたパパイヤにヌチャナートが水をあげていると思ったら、
水をあげていない。一枚一枚、葉が落ちて行き、とうとう幹だけに
なった。それでも根は生きているはずだから水を絶やさなかった。
パパイヤは日本の寒さに耐えられないのだと、ヌチャナートは理解
したようだ。もうパパイヤを外に出そうとはしない。
小さな葉が出掛かっている。これから暖かくなると葉が伸びて幹は
成長するだろう。パパイヤが実をつけたなら、これでソムタムを作る
のを楽しみにしている。
2009/3/17
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今日も本の広告の中から食べ物と健康の関係を探っている。
どんな食べ物が何によいのか見てみよう。
俺は偏った食事はよくないと思っている。ある食品がある病気によい
と言っても、それだけを大量に食べるのはよくないだろう。
こうやって見ていると、何を食っても健康によいという結論になって
しまうのではないかな?
「健康365」誌 2009年05月号
㈱エイチアンドアイ
「ニチニチ草」の有効成分は欧州では脳の血流改善薬で記憶力や
集中力を高めて耳鳴り・難聴が解消すると大評判
ニチニチ草は食べ物ではないが、以前にもとりあげたので、
ここでも取り上げておく。
「ゆほびか」誌 2009年05月号
マキノ出版
医師激賞!23Kg16Kgやせてもリバウンドなし!EDを克服、結婚でき
た、子宝も!気になるにおいも一掃!
「ニンニク一片」ダイエット
「わかさ」誌 2009年05月号
わかさ出版
脳梗塞による手足のしびれや顔面マヒが改善する神経強化の二大
血流アップ法 動脈ほぐしとショウガ
「壮快」誌 2009年05月号
マイヘルス社マキノ出版
カナダから感謝の手紙 <タマネキ>で25キロ15キロやせ 耳鳴り
ひざ痛が解消 脳梗塞から復活
2009/3/16
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紙幣は財布に入れるものだという習慣がついている。
タイには20, 50, 100, 500, 1000バーツの紙幣がある。
誰かもウエブに書いていたが、タイの庶民にとって1000バーツ紙幣
は大金だ。市場や庶民が住んでいる近所の店での買物では通常は
使用しない。たいてい20バーツ札で間に合う。
1000バーツを日本円に換算すると3-4千円だから、日本人は1000
バーツ札を軽く扱う。タイ人にとって1000バーツ札は日本人に
とって10万円札(もし存在すればの話)ほどの価値があると思って
も良い。
紙幣は財布にしまい、硬貨は小銭入れにしまう。
俺もそうやっていた。タイ語を使い、タイの庶民の中に入り込み、
庶民と同じ物を食べる。タイの習慣、タイ人の行動、タイ人の感覚
などを観察していると、一回の支払いは100バーツ以下が多い。
そのたびに1000バーツ札が入った財布を取り出すと財布の中を覗
き込む奴がいる。日本人の財布には1000バーツ札が何枚も入って
いるのでタイ人は驚いている。多分ね。これは危険だ。狙われたり、
襲われる可能性がある。
そこで100バーツ札以下を小銭入れに仕舞う。
500バーツ札と1000バーツ札だけを財布にしまう。
これは安全対策の一つだ。
この方法の利点はもう一つある。暗い場所では100バーツ札と500
バーツ札の色が同じように見える。金を払う場合、100バーツ札と
500バーツ札を取り違えることがないのがこの方法の利点だ。
夜の歓楽街ではこんなことをする必要がない。
気前よく金を使い、タイの女を喜ばせてあげましょう。
2009/2/27
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俺は無帽で歩き、頭の皮膚がちりちり焼ける感覚が好きだった。
タイのような暑い所では帽子を被らないと日射病になると言われて
いるが、帽子を被るとおでこが痒くなるのがイヤだった。
たいてい無帽のまま歩いていた。
熱帯で被る帽子には二種類ある。
どんな帽子がよいのか身をもって試してみることにした。
まずはアフリカ探検隊の隊員が被っている白くて分厚い帽子だ。
暑い所で厚い帽子を被ったなら暑いのではないかと思っている。
でも多くの探検隊があのような帽子を被るのだからあの方が良いの
だろう。探検隊の白い帽子はないから、ウチにある最も分厚い帽子
を使った。日本では冬に使う帽子だ。
次に薄くて軽い帽子がある。俺が使ったのは日本で夏に使う布製
の白っぽい帽子だ。分厚い帽子を被ると頭が蒸れて直ぐに帽子を
脱ぐと思っていた。しかし、そんなことはなかった。
分厚いから汗が帽子に染みる。その汗が蒸発する時に気化熱を奪
うからだろうか、頭が暑い、頭が蒸れるという感じはしなかった。
予想外の出来事で驚いた。
薄い帽子を被ってみた。厚い帽子を被った時と大差がない。
帽子を被り続けると、帽子なしではいられなくなる。
強い日差しを帽子が避けてくれ、頭が焼ける感じが不快になる。
帽子がないと太陽に照らされて暑いというより、火に近づいて熱い
という感じになる。
熱帯ではどんな物でも良いが帽子を被った方が良さそうだというの
が俺の実験結果だ。
帽子に布が付いており、首筋から顔を覆うことができ、目だけがでる
タイプの帽子がある。外で働く人、道路を清掃している人々がよく
被っている帽子だ。あの帽子が一番よいのではないかな。
日本ではスキーをする時に被る毛糸の目だし帽がある。
トラックの荷台に乗っている人が、毛糸の目だし帽を被っている。
「あんなものを被ったなら、暑いのではないか?」
日本人はそう思う。高速で走るトラックの荷台に30分も乗って見ると
わかる。風で息苦しくなる。耳たぶが旗のように揺れ、バタバタと
音がする。目だし帽を被っているとそれを防げる。
日本で農作業の時に使う麦藁帽子に似た帽子がタイにもある。
幅広のつばが首筋に影を落とし暑さを和らげるのではないか?
このような帽子の形は経験的に作り出し定着したものだ。
軽く、つばが広い麦藁帽子が昔から使われているのには、それ
なりの理由があるのだと改めて認識した。
話は横道に入るが、現在では麦藁帽子=>農家と連想が進む。
では日本で麦藁帽子と農家が結びついたのは何時からだろう?
江戸末期の農家は手ぬぐいで頬被りだった?
そうすると明治以降だろう。
「少年よ大志を抱け」のクラーク博士が日本に持ち込んだ?
2009/3/13
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お父さんの箸、お母さんの箸、誰それの箸と日本人の間では決まっ
ている。間違ってもお兄ちゃんは妹やお父さんの箸を使わない。
これは日本の習慣であってタイにはない習慣だ。
タイで使う箸は中国風の太い箸だ。安い箸は何の模様もない。
沢山ある箸の中からどの箸を選んでも同じだ。
この箸は誰の物という人的属性がタイにはないから、手近にある箸
を使って食べる。
日本の箸をタイに持っていった。
箸の手元は一膳ずつ色分けされている。日本人は黙っていても同じ
色の箸を二本選ぶ。片方は赤でもう片方は黄色という選びかたは
しない。必ず両方とも赤か黄色を選ぶ。
日本の箸には綺麗な模様が描かれることもある。
その模様は二本の箸をそろえると完全な模様になるように描かれて
いる。日本人は模様が完全になるように箸を選ぶ。
このように、色分け、模様分けされた箸にも属性があると日本人は
考えている。この箸はこっちの箸と一緒にならなくてはいけないと
考えている。箸は夫婦のような物と言える。
これがタイ人になると反応が違う。
赤と黄色の箸を組み合わせて出してくる。それに疑問を感じない
ようだ。俺は落ち着かない気分で箸を使った。
この箸は誰に属するという観念はタイ人にないのは知っていた。
赤い箸は赤い箸と一緒にしなくてはならないという観念もないこと
を知り驚いた。次にどんな箸の出し方をするか見たかったので、
「同じ色の箸を揃えてだすものだよ」と言おうとしたが止めた。
毎回、異なる色の組合せで箸を出してきた。
日本人は箸に属性があると考えるがタイ人は箸の属性なんて考え
ない。食文化はこんな所にも差があるのだ。
2009/3/12
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昔々のことだった。食虫植物に虫をあげると植物が虫を食べてしまう。
虫をどんどんあげ続けたならどうなるかで、ワイワイ騒いだ。
「もう食べなくなる」「下痢をする」などいろいろな推測が飛び出した。
仏壇のような所にあったジュース類を花にあげているのをタイで
目撃した。花にジュースをあげるなんて日本人には考え付かない。
「そんなことをしたら、花が枯れるよ」
と心配したが、タイ人は大丈夫だと言う。ジュースに含まれている
糖分は土壌細菌で分解されて肥料になるのだろう。
花だって乾燥が続けば水分を欲しがる。
その時はジュースをそのまま吸収するのではないか?
ジュースには大量の砂糖が含まれているので、花が糖尿病になる
のではないかと余計な心配をした。
2009/3/12
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タイで販売されている甘ったるいキリンの生茶については既に掲載
した。緑茶に砂糖を入れるなんて日本人の発想にない。
しかし、こうしないと売れない。これが売れているのだから、お国柄だ。
更に、日本人の発想にない生茶がでている。
「生茶ひらみれもん」という製品だ。レモンティーの発想だ。
緑茶にレモンジュースを入れたと考えればいい。
これはお茶と言うよりレモン水という感じだ。最後に苦味を感じた。
生茶にミルクを入れた製品もでていた。ミルクティーの緑茶版だ。
ミルクの味と柑橘の香りがする。甘い生茶より飲みやすいと思う。
ここまで味を変形させると、もう緑茶という感じではなくなる。
俺たちから見ると、「タイ人はおかしな飲み方をしている」となる。
これがタイ人から見ると、「日本人はまずいままお茶を飲んでいる」
となるのだろうな。
味の好みはこんなにも広がりがあるのだ。
これが味の世界の面白い所だろうな。
2009/2/27
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世界的に日本食が健康食品ということで注目を集めている。
ここタイでも寿司の人気が高まっている。あちこちで寿司を売って
いる。こんな田舎の週に一度か二度しか開かれない青空市場でも
売っていた。
頭に白い布を被るのは鉢巻のつもりなのだろうか?
デパートでは10バーツなのにここは5バーツで寿司を売っている。
値段は安いがその分、小さい。
男は日本人が見ている前で寿司を作るのを恥ずかしがっていた。
俺だってこんなものを寿司と言われると恥ずかしい。
しかし、これで売れているのだから面白い。
この店で寿司を買うと、こんな風に透明な容器に入れてくれる。
日本人はこれをなんとも思わないが、タイ人から見ると新鮮な感じ
がする。通常、食べ物を買うと中身が見えない薄い発泡スチロール
の容器に入れてくれる。中身が見えることは革命的なのだ。
醤油も袋に入れてくれる。物を袋に入れて袋の口を縛る場合、
必ず空気を入れる。醤油だから、袋に空気を詰めているのではない。
何を買っても必ず空気をパンパンに入れる。
この四個の寿司にたいしてこんなにも山葵をくれた。
寿司を食べる時タイ人は大量の山葵を入れる。
まだ寿司ブームが到来する前でタイ人は山葵を知らなかった当時の
話だ。いつも辛い物を食わされるので、仕返しをしたかった。
日本料理店にタイ人を連れて行き、そこで鼻にツンとくる山葵を食わ
せた。タイ人は鼻を押さえていた。そんな悪戯はもう通用しない。
今じゃタイ人は日本人以上に山葵を使う。
アメリカに寿司がわたり、カリフォルニアロールなんて言う新しい寿司
が出来上がった。それが日本に逆上陸した。そんな歴史を知らない
タイ人はカリフォルニアロールを日本の寿司だと思っている。
「カリフォルニアロール」なんて言って堂々と売っている。
そのうちにタイで人気のある寿司が出来上がる。
ドリアンを使った「タイ巻」なんて寿司が日本に入ってくるかもしれない。
どんな味になるかちょっと想像ができない。
こちらがデパートで売っている寿司だ。
俺がカニボコと呼んでいる偽物カニや卵はまあ、ネタとしていい
でしょう。縁を赤く染めた蒲鉾はちょっといけませんね。
ちょっと分かりにくいが左の容器に入っているのが小さな烏賊の
ゲソだ。これを店員は日本語で「タコ」と呼んでいた。
「これはタコでなくて烏賊だよ」
そういわれてもタイ人には通じない。通常、イカもタコもタイ人は区別
しない。どちらもプラムックと呼ぶ。
イカゲソをタコと呼んでもタイ人の間では通用する。
それを間違っていると指摘する日本人の方がタイでは間違っている。
どの寿司も海苔でネタを固定させているのが面白い。
このどぎつい色はいけませんね。
これが良いというのだから、タイのマーケットではこのような色を使わ
ないといけないのでしょうね。
タイ料理は安価だが、欧米の物、日本の物は高価だ。
こんな小さな寿司が一個10バーツというのはタイ料理と比べると
かなり高い。ネタはタイで普通に得られるものばかりだ。
日本の米をタイでも作っている。タイ産の日本米を使っていれば
シャリは高くなるな。それ以外に高値になる要素はない。
寿司は一種のファッションだから、高値でも売れるのかな?
タイの寿司ブームの一端を垣間見ました。
2009/2/27
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タイで売っている竹の爪楊枝は先がしっかりしていて使い易い。
安い日本の爪楊枝はちょっと使うと先が曲がってしまう。
すぐに新しい物を取り出して使わなくてはいけない。
高価な物ではないから何本使っても構わないが、なんとなく面白く
ない。竹の爪楊枝は一本で用が足りる。そこが気に入ったので自分
用にタイ土産として竹の爪楊枝を買って来た。
お気に入りとして竹の爪楊枝を使っているうちにふと疑問が起きた。
韓国ではレストランで木製の爪楊枝の使用は禁じられていることを
思い出したからだ。レストランの残飯は豚の餌として使われる。
残飯の中に爪楊枝があると、豚の胃袋に穴をあける。
そこで政府はレストランで木製の爪楊枝を使うことを禁じ、
澱粉を原料としたプラスチックで作った爪楊枝を使わせた。
この爪楊枝は豚の胃の中で分解されるので危険はない。
竹の爪楊枝は木製の爪楊枝よりも先が鋭い。
槍として使えるほど竹の先端を鋭くできる。
こんなものが豚の餌に混じったなら危険だ。
ウチの料理の残飯は豚の餌にはならないが、使い終わった竹の
爪楊枝は折ってから捨てることにした。
2009/2/27
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ある観光地に女学生が遠足に来ていた。金持ち学校らしい。
女学生が食べている昼食の容器を見た。
普段、町で見かける弁当容器は薄い発泡スチロールだ。
この子達が使っている弁当容器は半透明なポリエチレン容器?だ。
金持ちの子弟はこんな容器で食事をするのだと観察した。
弁当を食べた後、女学生はそのポリエチ容器を持ち帰るのだと
思っていた。その容器が日本のサラリーマンの愛妻弁当、学生の
カアちゃん弁当の弁当箱と同じように見えたからだ。
学校は学生が食べた後の弁当のごみを一か所に集めている。
見るとごみの中に先ほど見た質のよい弁当箱が捨ててある。
金持ちの無駄遣いと解釈した。
あるデパートの弁当売り場に行くと女学生が使っていたものと同じ
容器があった。触ってはいないので良くわからないが見た目は
かなりしっかりしている。
女学生が使っていた容器は使い捨ての容器だったのだ。
日本だったなら2,3回は使うだろう。それを一回で捨ててしまう。
もったいないことをする。無駄をする。
遠足だから一回で捨てたが、家庭では何回か使うのかもしれない。
買い食いがタイの食文化と俺は見ている。
ある家庭が一日にどの位のプラスチック容器を使い、捨てるのか?
5人家族なら一日に10から20個のプラスチック容器を捨てる。
日本では考えられないほど大量のプラスチックをタイの家庭では
捨てている。
その一方、日本はスーパーで個別包装された食材を買ってくる。
これから出るプラスチックはバカにならない。
タイでは市場で買物をする。
市場では肉でも魚でも野菜でも個別包装されたものはない。
「その肉、半キロ」「この魚三匹」「野菜一束」という買物の仕方だから、
それほどプラスチックはでない。
日本とタイでは一人が捨てるプラスチックの量はどちらが多いかな?
2009/2/13
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いつも驚くことなのだがタイの店員は商品知識がない。
言われたことをやるだけで、それ以上のことをやらない。
自分が扱う商品の関連情報・周辺情報・ライバル商品との差なんて
まるで知らない。
日本の店員ならA社の商品はB社の商品とどう違うか知っている。
客の目的を聞き、それなら、こっちの商品が安くてお徳ですと商品を
薦める。俺が買物をした範囲だが、質問しても回答できない店員が
多い。事前に確認したのに、間違った物を買わされたこともある。
ネットカフェに入った。パソコンが動かなくなっても、そこの女店員に
パソコンやネット上の問題の解決を求めても無駄だ。
彼女の仕事は俺が何時に入って、何時に終了したか確認して料金
をとることだ。小さなネットカフェだ。仕事の量も多寡が知れている。
仕事の合間にインターネットについて勉強するという知的興味も
女店員にはない。本を読んで知識を得ようともしない。
ぼんやりしているだけだ。
今まで静かだったネットカフェ内に音楽が流れ出した。
通りの宣伝カーがまた大音量で宣伝しているのだと思っていた。
やがて宣伝カーは何処かに走り去る。それまでの我慢だ。
何時まで立っても音楽は止まらない。音楽はネットカフェの中で流
されていた。俺はしばらく我慢していたが何時までも音楽が流れて
いる。この音量はタイ人が好む大音量から比べたら、静かだ。
タイ語と英語しか使えないネットカフェのパソコンで日本語の文を
作成するとなると面倒だ。それにパソコンの反応が遅い。
だんだんイライラしてきた。
俺は女店員の所に行き、言った。
「ヘッドフォンを使って貰えませんか?」
俺の英語を女店員は理解できないが、両手を耳にあてる動作で
俺がヘッドフォンを欲しがっていると誤解した。
女店員は別の店員に「この人がヘッドフォンを欲しがっているの。」
と怒鳴る。
「俺は要らない。お前が使うのだ!」俺が怒っているのを知った同僚
店員も我が意を得たとばかりに怒鳴った。
「あなた!音楽を止めなさい!」ネットカフェは静かになった。
やる気のない、無気力な店員がタイには多い。
2009/2/23
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国道を走っていると、道端にいろいろな屋台が出ている。
俺たちはその屋台の前に来て、屋台を覗いて初めて、その屋台の
売り物を知る。
タイ人は遠くから屋台を見て、「あそこで焼き鳥を売っている。」
「あそこで何を売っている」と直ぐにわかる。
俺たちには同じように見える屋台だが、屋台には俺たちが気付か
ない特徴があって、あの屋台で何を売っているか分かるらしい。
日本では軽トラックで魚を売りに来る。これは見慣れた光景だ。
軽トラックが止まっていた。ヌチャナートはその軽トラックは何かを
売っているらしいと感じた。だが、何を売っているのか分からない。
「何を売っているのかしら?」
軽トラックの特徴から魚を売っていると俺にはわかるがヌチャナート
にはわからない。
俺が日本の軽トラックの移動販売車が何を売っているかすぐに分か
るように、タイ人は国道の道端の屋台が何を売っているか直ぐに
わかるのだろう。
2009/2/27
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現在は世界最貧国の一つになっているカンボジアはかっては東南
アジアを支配していた有力な国家だった。タイ国内にもクメール帝国
時代の遺跡が数多く残っている。
現代のタイ語にもクメールの影響が残っている。
もしかするとこの遺跡の中に、現代のタイ料理に関係するヒントが
あるのではないかと考え遺跡を訪ねた。
遺跡の入場券売り場にはおばさんが座っている。
その側に警官が椅子にかけている。警官は座っている以外にやる
ことがない?職員らしい男もいる。
三人にブロークンなタイ語で俺の訪問目的を告げた。
俺の乏しいタイ語では俺の訪問目的を十分に伝えられない。
伝わっているのかも知れない。
彼等にはタイ料理の原点になるものを探る目的のために、なんで
こんな田舎にくるのか理解できないようだ。
「俺がいろいろなタイ料理を試食したいのだな」と解釈した。
それなら、何日にいらっしゃいとカレンダーで日付を指差す。
「違うよ。分かって貰えないな」
三人は首をかしげて「あっちの事務所に行け。そこには英語が分か
る奴がいる」と言う。こんな田舎じゃ英語が通じるわけがない。
それでも藁にもすがる気持ちで事務所に行く。英語で目的を告げる
のだがなかなか通じない。いつも持ち歩いている英タイ英辞書で
言葉を示す。これで少し理解してきた。
「主塔に仏様に食べ物を捧げている図がありますよ」
熱帯の暑さと通じない説明で疲れた。
主塔は高さ20メートルはある。東西南北4面の何処にあるのだ?
「内部にあります」
望遠鏡を用意してあるが、短時間では探りきれない。
主塔の内部は暗い。高い所は良く見えない。
パンフレットや文献にある写真は照明を用意し、高い足場などを
組んで正面から撮影したものだ。
地面から高所にある図や彫刻なんて角度が悪くてよく見えない。
やけくそ気分で遺跡を見て回った。
遺跡の修復は十分に行われておらず、崩落の危険がある。
あちこちに進入禁止の表示がある。
今は崩れかかった砂岩の彫刻だがかっては黄金に輝いていた
はずだ。当時の姿を想像しながら遺跡を見る。
素晴らしい、美しいという単純な言葉しか思いつかない。
2009/2/19
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リサイクルショップと書いた看板が目に入った。
「あれれ?ここにそんな店があった?」
リサイクルショップが気になっていた。今日はあの店に出かけて
みよう。環境問題とか資源のリサイクルなんて考える層はタイでは
少ない。こんな店を経営しようとする奴はインテリ層に違いない。
店番をしていた女達は知的な顔をしていた。
女達に英語で話をしたが英語が通じない。
しかたがないから片言のタイ語で質問した。
ビール瓶とCDを使ったランプなど店の装飾もリサイクル品だ。
よい出来だと思う。でもこのビールは庶民が飲まないブランドの
ビールなのが気にかかる。
天井もリサイクルの段ボールを使っている。
日本では建築基準法などでそんな材料を天井に使うことは許され
ない。彼女達はそれを自慢そうに俺に見せた。
置いてある商品の値段を見た。
長袖のスポーツシャツが3000バーツだ。庶民の手の届かない値段
だ。
「このシャツは新品ですからね」
彼女達はその値段が高いとは思っていないようだ。
別のシャツも299バーツの値段がついている。
「ちょっと高いね。夜市ではもっと安い商品があるよ」
「これは本物のブランド品ですから、お安いのです」
299バーツ出せば夜市で新しいものが買える。いくらブランド品とは
いっても古着だ。ブランドを着るのではない。
同じ値段なら新しいものを買ったほうがいいと庶民は考える?
金持ち階級は古着を買わない。
どうも日本人が考えるリサイクルショップとタイ人が考えるリサイクル
ショップとは違うようだ。
リサイクルショップと名付けていないが、タイには日本や韓国から
輸入されるバイク、自動車、衣類などリサイクル商品が氾濫している。
こんなことを言ったら怒られるが、金持ち階級のお嬢さんがお遊びで
作ったリサイクルショップという印象を受けた。またこんなことも考えた。
タイは貧富の差が大きい。
富裕層はこのようなお嬢さんのリサイクルショップで買物をし、
貧困層は夜市のような所で日本や韓国から輸入された古着を買う。
富裕層と貧困層では買物をする場所が違うからこれでやっていける
のかな??
利益を無視した社会奉仕的活動、別の目的のために行われている
パフォーマンスかな?
タイのリサイクルショップを見て考えてしまった。
2009/2/16
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インターネット電話の料金は下がっている。
日本で購入したインターネット電話カードで日本からタイ、
タイから日本へ電話できる。こりゃ便利だ。十分すぎると思う金を
カードに入れておいた。日本からタイへ電話する場合はかなり
安価だ。タイから日本に電話しても同じ料金だと思って、のんびり
話をしていた。昔の国際電話に比べれば割安だが、そのカードで
タイから日本へ電話するとかなり高額だ。カードの残金がなくなり、
電話をかけられなくなった。
どうしても日本へ電話しなくてはいけない事態になった。
俺が使える電話はタイで買った携帯電話と使えるか使えないか分か
らないタイのテレカだ。テレカはとっくの昔に有効期限が切れている。
有効期限がきれているテレカだが残金があるので公衆電話機に
よってはそのテレカも使えることもある。期限切れで使えないことも
ある。
とりあえず電話局に行った。
ある旅行案内書によると国際電話をかけるには電話局に行って申し
込みをする。デポジットを払う。そして通話し清算する。
その面倒な手続きを想定しながら電話局へ行った。
「日本に電話したいのですが、どうしたらいいのですか?」
男は一枚のカードを取り出した。そして電話のかけ方を教えてくれた。
「この携帯で使えますか?1-2CALLを使っているのですが?」
1-2CALLというのはタイで使われているプリペイドカードだ。
「どの電話機でも大丈夫ですよ」
半信半疑で日本に電話した。ちゃんと通じた。
カードの料金は300バーツ(約千円)で約一時間半 日本と話ができる。
買ったカードはCATのものだ。
電話のかけ方は簡単だ。
1 1544とダイアルする
2 4(日本語案内)
カードにはそんな説明は書いてないが「4」を押すと日本語の
案内になる。
どのようにしてそれを発見したのか覚えてない。
3 カードを削って出てきたPIN番号を入力してから#を押す
4 009+81+最初の0を除いた電話番号+#
これで日本と電話できる。
音声も明瞭で日本と話をしているなんて思えない。
CAT以外にも安い電話カードはあるだろう。
SKYPEなどを使わせてくれるインターネットカフェもある。
自分の携帯で好きな時に好きな場所から電話できるCATカードは便利だ。
2008/2/17
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俺が知っている範囲で熱い茶を飲むタイ人はいない。
テレビ広告の影響でインスタントコーヒーを飲む人はいる。
熱帯のタイでも朝に飲む熱いコーヒーは旨いと思う。
数年前にペットボトル入りの緑茶が販売された。
これがヒット商品になっている。
タイ北部のチェンマイでも売っているかな?
緑茶なんて飲まなかったタイ人が緑茶を飲むようになった。
タイの会社からも、日本のキリンからも緑茶がでている。
緑茶の旨味は渋みにあると我々は考えるがタイ人は緑茶がもつ
渋味を嫌がる。渋味を消すために砂糖を加えて甘くしてある。
とても日本人の好みに合わない。
キリンの場合、生茶ブランドで出している。
瓶には日本語で生茶と書いてある。ちょっと見た所は日本のラベル
と同じに見える。これがタイの生茶だ。
ラベルを剥がしてスキャンした。タイ文字でナマチャと書いてある。
タイ文字は左から右に書く横書きなのに和風に縦書きにしてある
のが面白い。
コンビニなどでは日本語の表示部分が表面になっていることがある。
それを見て「あっ!キリンの生茶だ!」と喜んで買う。
渋味を期待して飲むと、甘いので「なんじゃこれ!?」となる。
日本の生茶は玉露入りと書いてある。
タイの生茶は日本語の生茶という表示の下に英語で「日本の緑茶
生茶印」と書いてある。
タイ語で生茶と表示してある下にもタイ語で「日本の緑茶 生茶印」
と同じことが書いてある。
これを飲みながら考えてしまった。
俺が耐えられないサダオのような苦い物をタイ人は喜んで食べる
のに、緑茶の渋味にタイ人は耐えられない。
こんな不味い甘い緑茶をタイ人は喜んで飲む。
しかし、これが売れるのだから、タイではこれが正しい味だ。
なんとも不思議な感じがする。
ここでタイで売られているキリン生茶の新製品をみることができる。
www.kirinthai.com
2009/2/27
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食べ物の形は丸か四角が多い。
円錐形というのも数は少ないがある。
ジェリーを円錐形の容器に入れた菓子がタイにある。
形から見るとこの菓子は珍しい部類に入る。
日本の手巻き寿司も円錐形の珍しい形の食品だ。
和食が世界に普及している。タイの田舎でも寿司がある。
その寿司は日本人の感覚からすると寿司ではない。
寿司の格好をした食べ物にすぎない。
通常の江戸前寿司の形をしたものから、海苔巻もある。
デパートに円錐形の手巻き寿司があった。
通常この種の寿司は具が見えるように寝かせて陳列してある。
このデパートでは寿司を縦に置いてある。
穴が開いたプラスチックの板に手巻き寿司を差し込んである。
海苔が巻いてある部分をもって食べるのはタイ人の好みにあわない
のだろうか?アイスクリームコーンの形をしたプラスチックの容器に
手巻き寿司をいれてある。
まるでアイスクリームを食べるように手巻き寿司を食べる。
このような食べ方は日本人の発想にはない。
この寿司を英語でNori Rollと呼んでいるのも楽しい。
2009/2/10
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フードセンターで料理を物色していた。これが食いたいというものが
ないから、なかなか決まらない。さっきから俺の動きを見ていたらしく、
元気なおばさんが声をかける。
「アンタ!これにしなさい!」
おばさんの声につられておばさんの所へ行った。
「そっちじゃないの!こっちよ!」
おばさんの持ち場はラッタナーだった。
「これでいいでしょ!」
「うん」
おばさんは手慣れた様子で料理を作る。
あれが一人前かな?タレが多いな?
丼に揚げ麺をいれてタレをかけた。
案の定、タレがが多かった。
これじゃバーミーナムだよ。俺は食べ物なら何でも受け入れる食べ物
のゴミ箱みたいな存在だ。好きな食べ物と嫌いな食べ物はあるが、
旨いとか不味いなんて言わない。
その俺があんまり美味くないというのだから、かなり不味いだろう。
でも陽気で元気のよいおばさんだから許しちゃおう。
2009/2/12
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習慣を身につけるのは大変だが、一度身についた習慣を変えるの
はもっと大変だ。
インドネシアかマレーシアの食品工場の話だったと思う。
彼等は左手は不浄な手であるから、左手で食べ物を扱わない。
工場に食品の選別作業がある。右手でしか作業をしないので、
効率が悪かった。両手を使って選別させるのに、苦労したと言う話を
聞いたか読んだことがある。
肉を入れた容器が床に置いてある。作業者は枕ほどの高さの木の
椅子に腰掛けて前かがみになって作業している。
ちょっとした台を持っていき、肉の容器を台に乗せた。
これで前かがみにならずに作業できる。
「ああこれはいいね」
俺のアイデアを喜んで受け入れたと思ったのが甘かった。
数日後に作業をみると、また前かがみになって作業をしていた。
理由を聞くと
「こっちの方がいいんだよ」習慣を変えるのは困難だ。
この問題を習慣の問題と捉えたが、「ちょっとしたことをやらない」
タイ人の性格と捉えることも出来る。ちょっと台を持って来れば作業
が効率的にできるのに、台を持って来る手間を惜しんで非効率的
作業をしていると捉えることもできる。
いずれにしても身についてしまった習慣を変えるのは大変だ。
2009/2/20
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暑い街路からエアコンの効いた店に入る。また暑い町に出る。
埃を吹き付ける扇風機の風に当たる。
そんなことを繰り返しているうちに風邪を引いた。
薬屋に行き風邪薬を求めた。
女店員が症状を聞く。風邪薬と言うのがやっとのタイ語で風邪の
症状を訴えるのはかなり困難だ。
女店員が薦める風邪薬を見る。多くは英語の表示があるので、
薬の内容を確かめることができる。女店員が薦める薬は俺の
求める物とはちょっと違う。
風邪薬の棚を見ると、見たことがあるマークがあった。
手にとってタイ文字を読むとパブロンと読める。
これでいいのだ。
俺はタイ製の風邪薬パブロンを手にレジに向かった。
「あの人、パブロンを買ったわ。あたし達必要なかったわね」
なんてことを女店員は言っていた。
2009/2/27
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出足が悪かったので、だんだん時間がなくなっている。
日没前にこの町を出なくてはいけない。
一人歩きは日が暮れると危険だと多くの人に注意されている。
日没までにサイ・ンガームを見て、町に戻り、この町を抜け出さなく
てはいけない。それともサイ・ンガームを諦めるか?
どうしてもサイ・ンガームの様子を見なくてはいけない。
そこに行くにはモトサイと呼ばれているバイクタクシーしか乗り物が
ない。
外国人観光客を相手にしている場所でモトサイのたまり場を聞いた。
「この先の広場にあります。サイ・ンガームなら40バーツで行きます
よ」教えられた広場に行ったが、バイクタクシーは出払っているの
だろう、一台もない。屋台でガイピン(焼き鳥)を売っている女に
モトサイの場所を聞いた。
「モトサイはあそこにいるわ。サイ・ンガームなら20バーツで行くわ」
隣の屋台の女も「20バーツよ」と怒鳴った。
どうやら地元の人の相場は20バーツらしい。
広場でモトサイが来るのを待った。ほどなくモトサイが戻ってきた。
行き先を告げ価格交渉に入る。
「旦那、30バーツにしときます」
「高いな、20バーツにしなよ」
「ようござんす」
こうして20バーツで目的地まで来ることができた。
俺を目的地で降ろすと、バイクは町に戻って行く。
俺は一人取り残された。
もっと早い時間なら別の観光客を乗せたモトサイが来るから、それを
捕まえて町に戻ればよい。夕暮れちかい時間帯になると、観光客
なんてもう来ない。500人は座れると思われる大きなテントのレスト
ランもこの時間になるとがら空きだ。まもなく閉店になる。
大急ぎで動き回りここへ来た目的を果たした。
「さあ、町に帰ろう!」
帰ろうと言っても交通手段がない。歩いて帰る?
ここから町にでるまで殆ど人家がない。徒歩は危険だ。町に戻る
方法を考えた。切り株に腰をかけ、地元のバイクがやってくるのを
待つことにした。それを捕まえて町に連れ戻してもらえばいい。
やがて一台のバイクが走って来た。
通りに出て、右手を斜め下に出す。そして手首を上下に振る。
「ここに止まれ」というタイ式の合図だ。
バイクは止まった。男だと思ったら太目の若い女だった。
「40バーツで俺を町のバスターミナルまで乗せて行ってくれないか?」
「いいわよ」女は喜んだ。女が運転するバイクの後ろに乗る。
バイクが疾走すると、女の友だちが居た。
見知らぬ外国人を乗せているので友だちは怪訝に感じた。
「何処、行くの?」心配そうに友だちは聞いた。
「町へ!40バーツよ!」女は笑いながら友だちに怒鳴り返した。
バスターミナルは二個所ある。
「どっちのバスターミナルに行くの?マイ?ゲオ?」
新旧どちらのバスターミナルに行くのか聞いている。
「どっちでもいいよ」
「・・・・」
「ゲオなら町の中にあるんだろう」
「そうね」
「近い方が好きだろう?」
「アハハハ・・・。近い方がいいわ。」
バイクは町に入り、古びた建物の前で止まった。
「着いたわよ。あそこで座って待ってればバスが来るわ」
建物の中にはベンチが並んでおり、時刻表だか料金表が壁に貼っ
てある。切符売りの女が所在なげに座っている。
経済状況が悪かった10年前には太った女はタイに居なかった。
やせ形で足がすらりとした綺麗な体形の女ばかりだった。
金回りがよくなってきたら、太った女や肥満児が増えてしまった。
走り去る女の後ろ姿を見ながら、昔のタイを思い出していた。
2009/2/19
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タイにシェンチュンという黒い酒があると聞いていた。これは試飲の
価値がある。是非、試そうと思っていた。
シェンチュンを試飲したいと言うとタイ人は軽蔑したような顔つきに
なる。タイ人はタイの酒に興味を持ち、試飲したいという外国人を
「バッカじゃない」という顔で見る。
日本で外国人が「球磨酎」を飲みたいと言ったら、日本人はその
外国人に驚く。こんな物まで興味をもってくれる外国人に日本人は
一種の尊敬の念を持つ。
ホテルのバーでスコッチを飲んでいるなら、タイ人は尊敬する。
スコッチなら世界中、何処でも同じ味を味わえる。
タイでしか飲めない酒を飲むから、タイに来る意味がある。
その点をタイ人は理解できない。
シェンチュンについてタイ人に聞いてみた。
「シェンチュンなら何処にでもあるよ」それに勇気付けられ店を
回った。大型スーパーや小奇麗なコンビニには置いてない。
どうやらシェンチュンは小汚い店にしかないらしいことに気づいた。
あるコンビニでは「薬屋に行って、薬草を買ってきて自分で作るのだ」
と教えられた。まあ、俺のタイ語でそのように解釈した。
手に入らないとなると、シェンチュンという酒は幻の酒に思えてきた。
しょうがない、自分で作るしかないのか?漢方薬屋に行くか?
薬屋に行き「シェンチュンを試したいのだけど」と言った。
その店の老婆が親切に教えてくれた。
俺は老婆のタイ語がよくわからない。おおよそは分かるが、俺の
理解が正しいかどうか迷いがある。
「こっちにいらっしゃい。」老婆は店の外に俺を連れ出した。
「あそこにサムローやトクトクがいるでしょ。
あの前の店にシェンチュンはあるわよ」やっぱり、俺の理解で
ただしかったのだ。言われたとおりの店に行った。
そこは薬酒を飲ませる店だった。
「シェンチュンありますか?」
「あるよ」親父は瓶を取り上げた。茶色のビール瓶に赤いラベルが
貼ってある。ラベルには漢字で「長春薬酒」タイ文字でシェンチュン
と書いてある。この酒なら知っている。
俺がタイの養命酒と分類している ちょっと甘味のある強い酒だ。
「ちょっと試したいんだ」
親父はウイスキーグラスにシェンチュンを入れてくれた。
ウイスキーグラスは洗ったことがない。もうこのグラスで何百人もの
人が飲んでいる。グラスは手垢で汚れている。これがタイの生活で、
庶民の酒の飲み方なのだ。
強いシェンチュンをぐいっとあおる。親父が冷たい水をくれる。
喉が渇いているからまたその水をぐいっと飲む。
俺は日本人だから漢字を読むがタイ語は読まない。
読んだとしても漢字の次にタイ語を読む。
タイ文字が読めなかったから「長春」をタイ語では「シェンチュン」と
いうのだと知らなかっただけだ。
幻の酒に思えたシェンチュンが唯の酒に変わった一瞬だ。
また歩いて先ほどの薬屋の前に来た。親切な老婆がいた。
俺の姿を見て老婆が話しかけてきた。
「シェンチュン、わかりましたか?」
「ありがとう、分かりました。味見しましたよ。美味しい酒ですね」
あおったシェンチュンが効き始め、顔が火照るのを感じた。
必要もない時はよく目にする。目に付く。
それが必要になると、全然、目に付かなくなる。
この長春薬酒も同じだ。赤いラベルだから目立つ。
それなのに、探しているとみつからない。
2009/2/27
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バンコックでは車を駐車場に停めたら、ハンドルやギヤを固定して
盗難を防いでいる。
日本に沢山ある自販機などはタイでは簡単に壊される。
無人の野菜スタンドなんて作ったら、野菜と売上金を盗まれる。
無人スタンドなんてタイでは絶対に考えられない。
泥棒が多いと思って間違いない。
その一方で絶対に盗まれないと言う現金がある。
タンブンに使われる現金だ。タンブンというのは徳をつむことでも
いうのかな?日本の法事とちょっと似ている。何かがあるとタンブン
をし、金を寺に寄進する。タンブンの趣意に賛同する人々が現金を
竹や枝にさしている。それが誰でも持っていける、簡単に盗める
場所に置いてある。しかしその金に手をつける者はいない。
「こんな所に現金を置いても大丈夫なの?盗まれないの?」
「大丈夫ですよ。盗まれませんよ」
タンブンの金には絶対に手をつけないようだ。
日本では賽銭泥棒というのがあるが、タイにもあるみたいだ。
観世音菩薩の像の前に賽銭箱があり、それに厳重な鍵がかかって
いたから、タイにも賽銭泥棒はいるのだろう。
こんな話も思い出した。死者の棺に現金を入れる習慣がある。
その金をある隠坊さんが取り出し、一定額が集まると何処かに寄付
する。金が集まるまではその金を壁に飾ってある。
「盗まれませんか?」誰もが気になる質問をする。
「大丈夫です。このお金に手をつける人はいません。」
2009/2/27
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血液を食べると言うと吸血鬼ドラキュラと勘違いされる。
日本の仏教は肉食を禁じていたが、タイの仏教は肉食を禁じて
いないので、肉食文化が長く続いている。それで血も大切に使う。
肉食文化の長い国では何処でも血液を食べている。
ドイツやモンゴルには血液を使ったソーセイジがある。
タイでは血液をつかったソーセイジを見ていないが、一部の地域
では名産品としてブラッドソーセイジを作っているかもしれない。
今度探してみよう。
市場に行くとこんなお饅頭のようなものが売られている。
これは血液を固めたものだ。これはハンペンのような歯ごたえがあり、
旨いので驚く。
「血を食べるなんてイヤダぁー」なんて言っている人も知らないうちに
食べているかもしれません。屋台やエアコンのない店でタイラーメン
を食べたことあるでしょ?あのなかにたいてい入っています。
また生の血も袋にいれて売っている。これは何かの料理に使う。
鍋に血を入れているのを見たことがある。記憶が定かでないが、
それを出されて食ったような気がする。
2009/2/27
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町の中心から20キロほど離れた集落に知人が住んでいる。
知人を一人で訪ねなくてはいけない。バンコックやチェンマイの有名
な観光寺に一人で行くのとはわけが違う。
日本で言えば◎◎県◎◎郡・・・・・・◎◎村字◎◎を訪ねるような
ものだ。タイ語以外に通じる言葉はないと思った方がいい。
実際、通じない。住所を書いて貰った紙だけが頼りだ。
手書きのタイ文字だから読むのが大変だ。インターネットでおおよそ
の位置は確認してある。
トクトクを使えばその集落に行ける。人も居ない、人家もない道を
何キロも行かなくてはならない。このような場所でトクトクやタクシー
の運転手が強盗になる事例が多くある。
人の居ない場所でトクトクを止めたら約束の値段以上の法外な値段
を請求されたことがある。トクトクは危険かも?
その集落に行くソンテウがあるのは分かっているが、何処から
ソンテウがでているのかわからない。バスターミナルの後ろに行った
らソンテウのたまり場があった。何台かのソンテウの中に、俺が行き
たいと思っている行き先がペンキで書いてあるソンテウがあった。
ソンテウの運転手に行き先が書いてある紙を見せた。
ラオというタイ焼酎の臭いをぷんぷんさせながら運転手が言った。
「大丈夫だよ。俺にまかせておきな。」
この酔っ払い運転手に任せることにした。というより、彼を頼る以外
にない。
「平日は本数が多いが、休日は本数が少ないんだ。」
「・・・・」
「悪いけど、ちょっと待ってくれ」
「ああいいよ」酔っ払いや麻薬患者の職業運転手は多いと聞いた
が、その通りだ。酔っ払い運転を除けばこの運転手は人の良い親切
な人のようだ。その後、わかったが、この酔っ払い運転手は一生懸命
になって俺の行き先を探してくれた。
四トン車のソンテウは大きくて足元が広い。いつも乗っている二トン車
のソンテウより快適だ。これを快適と感じるようになっている自分を
自分で笑った。
ソンテウは埃を舞上げながら田圃や緑地の中を走った。
目的の集落名が書いてある標識があった。やっと着いた。
ここからが問題だ。たしか、この辺だが、家並みが変わり、目的の家
が分からない。その家は第4地域にある。ソンテウは右折しソイに
入った。こんな所じゃないよ。
「ここは何番地域ですか?」同乗した乗客に聞いた。
「第5地域ですよ」
「第4地域に行きたいのだけど」
「大丈夫ですよ。行きますよ。」
酔っ払い運転手が車を止めてやって来た。
「さっきの紙を見せてくれよ」
出発前は大見えを切っていたが、ぜんぜん分かっていない。
あちこちの店で行き先を訪ねている。
「村長さんの家に行こうよ。そうすれば分かるよ」
最初からそうすればいいのに。
「こんちわー!村長さんはおられるかのー?」
村長さんの家では酔っ払い運転手はちょっと緊張して普通より丁寧
な言葉遣いをしているのが俺にも見えた。
「村長は出かけて、地図がないのですよ。何処に行くのですか?」
行き先を告げたが村長の家にいた誰も知らない。
多分、わずか数百戸しかない小さな集落だ。
日本だったなら、あの家の今晩のおかずは何か集落全員が知る程
の小さな集落だ。タイの集落は他人の家に無関心なのだ。
村長の家でも俺が訪ねる家は分からない。どうしよう。
運転手は「俺は良い人だろ?」なんて言いながら別の店で行き先を
聞いてくれた。
「もう大丈夫だ。連れていってあげるよ」
一軒の家の前でソンテウを止めた。
「この家だろう」
以前は店をやっていたが今はシャッターを降ろしているので分から
なかった。運転手は店までやってきて、外に出てきた老婆に事情を
説明した。店の中を見ると知人がいた。
突然訪ねて来たので知人も驚いていた。
こうしてタイの田舎の小さな集落に住む知人を訪ねた。
2009/2/27
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日本には詳細で正確な地図がある。どのようなシステムになって
いるのかわからないがタイには正確な地図がない。
正確な地図が欲しけりゃ国防省地図局とでも言う所に行けば買え
ると聞いた。国防省地図局とタイ語で言っても知る人がいない。
いろいろな事があってやっとのことで国防省地図局を探した。
俺は役所の中の売店か本屋のような施設で地図を買うのだと想像
していた。国防省地図局の入り口には兵隊が立哨していた。
兵隊に聞いた。
「ここで地図を買えると聞いたのですが。」
「お入りなさい。この先、左にあります。」
扉を開けると普通の事務所だ。どうみても物を売る場所に見えない。
「地図をここで買えるのですか?」受け付けの女に聞いた。
「ええ、どうぞ」
男が「どうぞこちらへ」と手招きする。
「この辺の地図がほしいのですか?」目的の場所を告げた。
「そうするとこれですね」
出された地図は25万分の1の地図だ。
もっと詳細な地図が欲しい。
「5万分の1の地図はないのですか?」
「ありませんね」
正確な地図がなければ軍事行動はできない。絶対にあるはずだ。
タイ・ビルマ国境で両国が主権を主張している何箇所かの地図を
除いて、ここでタイ全土の地図が買えるという情報は得ていた。
地図は軍事機密なのだろう。実際には正確な地図があるが外国人
には販売しないのかもしれない。文句を言っても始まらない。
25万分の1の地図で諦めた。
日本ではインターネットで無料で路地まで描いた地図を得られる。
それと比べるとタイの地図事情は大違いだ。
本当にタイの地図は不思議だ。市販の地図では湖の形も地図に
よって異なる。
英語のインタネットサイトでも誰かが同じ事を言っていた。
2009/2/15
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このタイの田舎の町にもフィッシュアンドチップスを食べさせる店が
あると聞いた。町で出会う普通のタイ人に「フィッシュアンドチップス
を知っているか?」と聞いても知る人はいない。
タイ政府観光案内所の職員に聞いても知らない。
「それなんですか?」
「英国の食事だよ。米国のハンバーガー、タイのカノムチン見たいな
ものだよ」
「ああ、欧州の食事ですか?」
「欧州じゃなくて英国だよ」
「欧州と英国の違いがわかりません。あぁ、スパッゲッティのこと
ですか?」全く見当はずれのことを言っている。
「違うよ。その店はこの近くのソイにあるらしいんだ」
職員はしばらく考えていた。
「もしかすると、この向こうのソイを歩いて行き、二つ目のお寺の近く
にある店がそうかも知れませんね」
見つけることができないと覚悟を決めて、店を探しに行った。
職員が説明してくれた雰囲気の店があった。多分、ここがその店
だろう。店に入ると二人の白人が話し合っている。
一人は店のオーナーでもう一人は友人か商売仲間のようだ。
メニュウを見るとスイス、オーストリア、ドイツ系の料理が多い。
ここにフィシュアンドチップスがあるのかな?少々不安になった。
なかったら、シュニッツェルでも食えばよい。
メニュウを読んでいたらその中に目指すフィッシュアンドチップスが
あった。
料理がでてくるのを待っていた。手持ちぶたさを察してオーナーが
立ち上がり新聞を手にした。
「バンコックポストをお読みになりますか」
このような気の利かせ方はタイ人の店にはない嬉しいサービスだ。
「持っていますから、けっこうです」
料理が出てきた。タイ料理店では絶対に見られない直径30センチ
ほどの皿に料理が乗っている。それだけでも俺は嬉しかった。
久しぶりに欧米風に盛り付けた料理に接した。
辛くない料理を腹いっぱい食べた。
2009/2/16
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饅頭のような円形古墳みたいな物があった。
タイにも円形古墳があるのかと思わせた。
この広場は何度か訪れたことがある。しかしこんなものがあったとは
覚えていない。広場にあった説明によると、この古墳のような場所は
18世紀に作られたようだ。
作られた当時は美しく壮麗な物だっただろう。
階段ができているので古墳のようなものを上った。
丸い饅頭の中腹に周囲をぐるりと一周できる道がある。
一箇所に祭壇があり、供え物があった。
今は赤レンガの廃墟だ。わずか2,3百年で石造りの建築物がこんな
にも荒れ果てるのだろうか?
歴史や自然の力で荒れたのなら仕方がない。
どうも人為的な力で荒れたようだ。
政治・市民生活が荒れた時、レンガの盗掘があり荒れ果てたと見た。
2009/2/19
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タイ人はちょっとしたことをやらないと書いた。こんなことを思い出し
たので書いておく。ソンテウというのは言わば公共交通機関だ。
一日にどの位の距離を運転するのか知らない。
多分、二百から三百キロは運転するのではないか?
彼等は客を乗せたまま給油所に向かう。そこでたいてい15リットル
ほどの燃料を入れる。満タンにすれば給油所に向かう回数が減り、
時間と距離の節約になると思うのだが、そうはしない。
そんなことは今はどうでもいい。
彼等はエンジンをかけたまま給油する。
ちょっとエンジンを切るという手間を省く。ガソリンスタンドでも
「ちょっとエンジンを切ってくれ」と運転手に言わない。
もし火がつけばソンテウの乗客はもちろん、ガソリンスタンドも大損害
を受ける。
運転手もガソリンスタンドもちょっとしたことをやるのを嫌がる。
2009/2/27
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多くの場合、外国人とタイ人では入場料が違う二重料金制が取られ
ている。入り口には入場料が書いてある。もちろんタイ文字だ。
タイ文字にも「壱弐参」という漢数字のようなものがある。
そんなものを読める外国人は少ない。
タイ人の入場料は弐拾バーツとタイ語とタイ数字で書いてある。
外国人用には英語とアラビア数字で100バーツと書いてある。
「これっておかしいよね」
入場券を売っているおばさんもおかしいと思っている。
「あなた、タイ政府発行の書類を持っている?書類があればタイ人
の料金にするわ。」そんなもの、もっているわけがない。
これは一例としてバンコックの動物園の切符売り場で撮影したものだ。
動物園・博物館は国民の税金で作られている。タイの税を払わない
外国人がそれらの施設を利用する場合、幾分かは余計に払う
必要はある。その理論は分かる。
外国人からタイ人の5倍の料金をとるのが正しい数字かどうかは
別の問題として残しておこう。民間の娯楽設備なら外国人から高い
料金をとるのも仕方がないかなという気がする。
動物園・博物館には学術的目的で訪れる人もいる。動物園や博物館
を熱心に見る人はタイを正確に理解しようとしている人だ。
必ず、タイの利益に繋がるようになる。
目先の利益に目をくらみ、外国人から高い料金を取ることは得策では
ないと思う。
2009/2/19
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日本人は食べ物を人にだす時、作法その他に気を使う。
タイ人も同じく気を使っているようだが、気の使い方が日本人とは
違っているようだ。
俺たちがタイラーメンと言っているバーミーナムを注文した。
日本のラーメン屋でラーメンを注文したら、箸はテーブルの上に横に
置くのが日本の作法だ。竹筒などに割りばしをどさっといれてある
日本のラーメン屋などもある。これも日本の習慣だ。
バーミーナムを出すような店はタイでも格下の飯屋だ。
つまり作法などにあまり気を使わない店だ。
そんな店では丼の上に箸を乗せてくることもある。
箸は客に向かって縦方向に乗せる。
丼の上に箸を置く場合でも日本では客に対して横向きにおく。
こんな習慣の差を見るのも面白い。
タイのバーミーナムに使う箸は中国風の太い箸だ。
日本の箸は手元と先端の太さの差が大きいが中国の箸はその差
が少ない。いくら手元と先端の太さに差が少ないとはいえ、目の悪
い年寄りでもどっちが手元でどちらが先かすぐにわかる。
それなのに、出された箸の一本は手元でもう一本は先だった。
幾ら作法に気を使う必要のない店と言っても、これは気を使わなさ
過ぎる。これで食うことはできるが、どうも落ち着かない。
やはり麺は箸の先端を揃えて食わないと食った気がしない。
日本ではこんな失敗は絶対に起こらない。こんなタイの飯屋に
笑ってしまった。
箸を客に対して縦に置くか横に置くか、このペプシの広告を見て
みよう。箸が縦に置かれているように見える。
2009/2/10
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これはラジオ体操ではないが、政府が後押しをしている国民体操
運動のようだ。夕方5時半ごろになると広場から大音量の音楽が
流れてくる。大音量がどの位の音量なのか分からないだろう。
耳を押さえても腹がむかむかする音量だ。
その位の大音量でないとタイ人は満足しない。これを五月蝿いと
思う人がいない。大音量であることを喜んでいる。
「五月蝿いね、何をやっているの?」
「体操よ」
広場の近くの人はこともなげに言う。こうして6時になると指導者が
台の上にあがり「イチ・ニ・ホイサ」など掛け声をあげながら体操する。
切れ目のない音楽に合わせて動いている。
タイスタイルのエアロビクスと見てもいい。これが6時半まで続く。
毎日、夕方の一時間、広場の近所の人は騒音とともに生活しなく
てはいけない。
2009/2/27
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多くのタイの僧は裸足で歩く。それにはそれなりの理由があるの
だろうから、裸足で歩いているのを見ても驚かない。
三人の僧が一緒に歩いているとする。理由はわからないが、彼らは
縦に並んで歩く。絶対に三人が横に並んで歩かない。
これにも理由があるのだろう。
日本の旧軍隊では一日でも長く軍隊の飯を食った者が偉い。
それと同じで一日でも長く寺の飯を食った僧が偉いのだろうか?
偉い人と並んで歩くことは許されないから一歩下がる。
こうして縦列となるのだろうか?
高校生くらいの僧と小学生位の僧が歩いていた。どうも兄弟見たい
だ。時々、横に並んで歩いているように見える。よくみると、弟は
半歩ほど兄から下がって歩いている。
僧や寺の中も階級・順位社会なのかな?相撲部屋のように、
兄弟子、弟弟子の関係があるのかな?
誰か僧が縦列になって歩く理由を知らないかな?
2008/2/17
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昔はタイの氷は危険だから氷を入れるなと言われた。
この暑さの中で氷なしの水を飲めと言うのは酷な話だ。
現在は衛生管理が多分しっかりしているから製氷会社から出るまで
の氷は安全だ。俺はそう思っており、そうだと望んでいる。
しかしその後の流通段階の衛生管理が悪い。
衛生の思想を持たない運転手が氷を取り扱っている。
タイの氷の流通システムは
製氷会社=>氷問屋->運送部門=>小売店=>消費者
のようだ。製氷会社は氷を売るために氷蔵庫を無償で小売店に
貸し出す。消費者は小売店に行き5バーツとか10バーツずつ
氷を買う。
小売店主は貸し出された氷蔵庫を洗うことをしない。
自分のものではないので洗う必要はないと考えているのか?
氷をどかして見ると、氷蔵庫の底は埃で真っ黒だ。
小売店は今日は50キロの氷を仕入れ、40キロを売った。
翌日は昨日の残りがあるので40キロ仕入れる。
新しい40キロの氷は昨日の残りの氷の上にどさっと乗せる。
このような状況だから底にある氷はいつまでたっても売れること
はない。売れない氷は水となって流れ落ちる。
これだけでもどれほど氷が汚れているかわかるだろう。
氷屋の運転手が氷蔵庫に氷をどさっと入れた。
氷を入れた後、運転手が「あれれ・・・?」という顔をしながら氷蔵庫
を見ている。何時もはこの一袋をあければ、氷はこのくらいの高さ
になる。今日はいつもの高さにならないので、運転手はきょとんと
していたのだ。氷を入れた袋を運転手は見た。
袋には大きな穴が開いている。大きな穴から氷はこぼれていたの
だった。袋は薄くて細いポリ紐を編んだものだ。日本では工事現場
などで廃材などを入れるのに使われるような口紐つきの袋だ。
洗うこともせず破れるまで袋を使い、破れていることも確認しない
まま使う。そのような流通段階に衛生の思想はない。
タイの氷は汚いと結論している。一流ホテルの氷も似たような似た
ような流通を経て納入されているだろう。氷を安全だと思うのは
間違いだ。氷を入れた飲み物を飲むときは覚悟をして飲む必要が
ある。
2009/2/22
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公共交通システムが未発達と言うより、政府が動く前に民間が動き
出しそれがシステムとなってしまった。トラックの荷台にベンチを
つけて客を運ぶソンテウと呼ばれる乗り物がある。
俺達には改造トラックと見えるがタイの人々はこれをバスとも呼ん
でいる。バンコックと違い公共バスがない田舎ではソンテウが公共
バスと同じ役割を担っている。
ソンテウで移動する人々は自動車をもてない貧しい人々だ。
タイ語はできない、タイ文字は読めない日本人や外国人はソンテウ
に乗りたくても乗れない。一人でソンテウに乗っている外国人は
あまりいない。日本人と見て値段を吊り上げるトクトクの運転手と
わずらわしい値段の交渉もいらない。値段の交渉をしている間に、
来たソンテウに乗れば目的地についてしまう。
ソンテウで移動しているうちに、日本で失われた美しいタイ人の心
を発見した。
天秤棒を担いで行商をしているおばさんがソンテウに乗ろうとした。
重い荷物をソンテウに乗せるのを手伝ってあげる。
おばさんが安全に乗れるように手を差し出す。天秤棒が乗客の
邪魔にならない場所に移す。これを乗客全員でやる。
年寄りや体の弱そうな人がいれば必ず席を譲る。
立ち席の人の鞄や荷物を座席の人が持つ。
日本では膝に荷物を乗せず、隣の席に置いて混雑する車内でも
平気な顔をしている人がいる。ソンテウに乗る人々は必ず席を詰め
て一人でも多くの人が座れるようにする。
通勤通学時間になると、小学生は運転手の頭の上にできている
空間に乗り、大人が多く乗れるようにする。俺は子供が狭い場所
に入って遊んでいると思っていた。込んだソンテウでは子供は
運転手の上の屋根に乗るのが習慣になっている。
こんなタイ人の心に触れるソンテウが好きだ。
2009/2/22
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トラックを改造したバスをソンテウと言ってタイの重要な交通手段だ。
一般庶民が利用する交通手段だから乗客はお互いに助け合って
いるとみていた。こんな女がいるのを知り俺は驚いた。
他人にたいして気を使う人とまるで無頓着の人がいる。
ああ、やはりタイも日本も同じなのだ。
ソンテウは満員になった。二年生くらいの男の子を連れた30代の
おばさんが乗ってきた。二年生にもなれば込んだソンテウの中で
立たせておいてもいい運動になる。
50代のおばさんが男の子を膝に乗せてくれた。ソンテウの後ろの
立ち席では棒に捕まりながら乗っている人もいる。
国道をソンテウは疾走した。
そのうちに降りる人が現れ、男の子の母親が俺の隣の空席に
座った。俺は母親が男の子を引き取り、自分の膝に乗せると思った。
母親は知らん顔だ。男の子も50代のおばさんの膝に乗ったまま動
こうともしない。今はもう男の子は立っていても安全なスペースが
ある。それなのに、男の子は膝から降りようともしない。
おばさんは男の子の重みで片方の足が痛くなった。
「こっち側に座ってよ」男の子は座りかえたが立とうとはしなかった。
座っている方が立っているよりラクチンだからか?
母子が降りる時、俺は聞き耳をたてた。
母親が子供を膝に乗せてくれたおばさんにどのように礼を言うか、
このような場合どう言うべきか学びたかった。
不十分な俺のタイ語力では緊張しないと母親と50代のおばさんの
会話を聞き取れない。母子は降りていったが50代のおばさんに
母親がお礼を言った様子がない。
俺の目には非常識な母親と写った。
これがタイの常識なのだろうか?
2009/2/23
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俺はコーヒーにミルクを入れない。砂糖だけの味が好きだ。
コーヒーにミルクを入れたくない時は「メサイノム」とか「メアオノム」
と言えと旅行本には書いてある。「メサイノム」とか「メアオノム」と
言えば砂糖だけ入れてくれると思うのは大間違いだと分かった。
外国人観光客が多い場所ならそう言えば通じるが、外国人が来な
い田舎では通じない。正確に言うと通じているが、コーヒーには
砂糖とミルクを入れるものだという固定観念ができているタイ人
には理解できない。
「ミルクを入れるな」と言われると彼等にはピンとこない。
寿司のサビ抜きに似ているが、タイ人にはそれ以上に奇妙に思え
るようだ。何に例えたらいいのだろうか?
「コーヒーにミルクを入れるな」とタイ人に言うと、
「刺身にジャムをつけてくれ」と日本人に頼むようなものだろうか?
その位、奇妙に聞こえるみたいだ。
「メサイノム」というと「本当にこれをいれないの?」といつも不思議
そうな顔をされる。今日もメサイノムと言ってコーヒーを頼んだ。
インスタントコーヒーに続いて白い粉を入れる。
俺はそれを砂糖だと思った。
ティースプーンで二杯いれた所で止めさせた。
そうしないともっと砂糖を加える。危ない所だった。その次にまた
砂糖らしきものを加えようとする。
「それなんですか?」
「これは砂糖です」
「この前に入れた白い粉なんですか?」
「コーヒーメートです」
「メサイノムと言ったでしょ。」
女は注文通りにやっているのに、何が不満だという顔をしている。
「メサイノム」は「メ」禁止、「サイ」入れる「ノム」ミルクの意味だ。
「ノムはこれです」そういってコンデンスミルクの缶を見せる。
タイ人の観念では砂糖が沢山入ったコンデンスミルクだけが
ノム(乳)であって、甘味が少ないコーヒーメートは乳製品ではない。
「コーヒーメートもノムだよ」
「わかりました」
そういって新しいインスタントコーヒーを入れてくれた。
今日はいい勉強をした。こんなにも考え方が違うのだと知り、驚くと
同時に新しい考えに触れて一人でニヤリと笑った。
2009/2/17
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タイ人は苦い食べ物を好む。俺が吐き出すほど苦い物を美味しいと
言って食べる。苦い物なら何でも好むのかと言うと、コーヒーの苦み
は嫌いなようだ。
10バーツでセルフサービスのインスタントコーヒーが飲める。
袋の中にはコーヒーと砂糖2袋、粉末クリームが入っている。
一袋の砂糖は日本のマクドナルドでくれる砂糖の二倍は入っている。
それが二袋も入っている。そんなに入れたなら甘すぎて飲めまい。
タイ人はたっぷり砂糖が入ったコーヒーが好きだ。
バス待ちの間、冷たいコーヒーを飲もうと思った。
とても強いコーヒーだが、うまい。
コップ一杯のコーヒーにラーメン屋のレンゲで二杯の砂糖をいれる。
それに甘いコンデンスミルクを加える。俺には甘すぎる。
コンデンスミルクを加えるなと頼むと不思議そうな顔をされる。
さらに砂糖は一杯でよいと言うとタイ人は呆れる。
この強いコーヒーを氷を詰めたポリ袋にあける。
だんだんコーヒーが薄くなる。
それをゆっくり飲むと暑さを忘れる。
2009/2/10
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町を歩くとガフェーソットと書いた看板がでている。
直訳すると「生コーヒー」となる。
「生コーヒー」と聞くと焙煎したコーヒー豆を濾したコーヒーを想像
する。俺は「生コーヒー」と看板が出ている店に入り、コーヒーを
注文した。するとインスタントコーヒーを入れてくれた。
欧米の品物に弱いタイ人はネスカフェなどを高級品と考えるのか?
テレビで美人が美味しそうにインスタントコーヒーを飲む宣伝をして
いるのでインスタントコーヒーが高級品に見えるのかもしれない。
店としては高級品を提供しているつもりだろうが、俺は
「生コーヒーと言いながらインスタントコーヒーを飲まされ、
騙された」と感じる。
ネルの袋で濾したかなり濃いコーヒーがある。
これをアイスコーヒーにすると旨い。ある時、砂糖もミルクも入れ
ないでくれと頼んだ。飲んでいるうちに胃が痛くなった。
それ以来、砂糖だけは入れるようにした。
2009/2/23
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外国人に貸し出す家を見せて貰ったことがある。その家には台所が
ない。俺が不思議そうな顔をしているのに女家主が気づいた。
「ああ、これね。食事は作らないのよ。皆、外で食べてくるか買って
くるからよ。家では温める設備があればいいの。それで台所は必要
ないのよ。」
これは夜明け前の市場で撮ったものだ。
市場でもこんな弁当を売っている。このような食べ物は町のあちこち
で売っている。これを買ってきて食べるのがタイ人の食事だ。
子供達にもこんな弁当を買ってきて食べさせる。
母鳥が巣で待っている子供に餌を運ぶように、親は腹をすかせて
待っている子供に弁当を買って帰る。寝坊した子供は弁当を食べ
る時間がない。学校へ行くトラックの荷台でこれを食う。
自宅で料理を作り食べるという習慣はあまりないようだ。
朝でも昼でも夜でも何処かへ行って、こんな弁当を買ってきて食べ
ている。弁当は安いから、自分で食材を揃えて調理する必要はない。
日本だと、毎日毎食コンビニ弁当、ほか弁を食っているようなものだ。
これが常態化しているので誰も文句を言わないし、不思議に思わな
い。不思議に思うのは俺のような外国人だ。
買い食いばかりしていると、「あの人はだらしない。」と日本では
言われる。タイではそんなことはないようだ。これは庶民の話だ。
金持ちの家ではどうなっているのか知らない。
まさか使用人が毎日、市場などに行き、こんな弁当をご主人様の
ために買ってくるなんてことはしていないだろう。
2009/2/27
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市場でこの写真のような配達人を目にする。この人たちは何処から
何処へ何を運んでいるのだ?
市場に買物に来るのは家庭の主婦だけではない。
町の食堂、屋台の店主・・・・・・いろいろな人が買物に来る。
食堂を経営しようとすると、一日に何十キロもの肉を買わなくては
いけない。肉の他にも野菜や調味料も仕入れなくてはいけない。
そんな大量の物を混雑した市場の中を持って歩けない。
客は肉屋や八百屋に買った商品を預ける。
すると肉屋などが商品を客のトラックの荷台まで運んでくれる。
市場をぐるりと一回りして帰ると、注文した品は全てトラックに
乗っている。店は客の顔とトラックを覚えている。
客は駐車した場所を教える。それだけでいい。
客は手ぶらで買物ができる。
このシステムがなかったなら、市場は混乱する。
配達人は市場をスムーズに動かす重要な役割を果たしている。
2009/2/27
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国道に一台のトラックが止まっていた。
トラックは路肩に止まっている。
タイの国道は路肩が広い。日本の高速道路の路側帯ほどだ。
自動車が一台ゆうゆう走れる幅がある。
上り線なのにトラックは下り方向に向かって走って路肩に止まって
いる。絶対に日本では許されない。
それが普通のことになっているのがタイだ。
そのトラックから大勢の人が降りてきた。
全部で12名ほどいる。
監督らしい男が作業を指示している。
何をやっているのか気になったので見に行った。
道路脇に看板を立てるところだ。
6畳ほどの大きさの看板だ。
ビニールか布に印刷した看板だ。
そんなものを立てるのになんで12名の男が必要なのだ?
日本なら3人か4人でやってしまう仕事だ。
12名のうちの5名ほどはその近くでウンチ座りをしている。
作業の非効率に驚いたが、考え直してみた。
それには何か俺たちが分からない理由があるのではないか。
看板を立てる業者だって3人で出来れば工賃が下がり嬉しいはずだ。
インドのカースト制のような物があり、地面に杭を打ち込む作業者、
木枠に看板を貼り付ける作業者はお互いに相手の領域に手を出
さない。そのため多くの人手が必要になる?
看板が立った頃、看板を見に行った。こんな看板が出来上がっていた。
看板を立てる材料はその辺の古材や枝をかき集めて継ぎ合わせて
作るのだと思っていた。予定している看板を立てる場所に古材や枝
があるとは限らないから、最初からそれらをトラックに載せてあった
のだろう。
布を木の枠に釘で打ち付ける。なぜかどの釘も途中で曲げてある。
釘をそのまま打ち込むと布が破れやすいからかな?
それで釘を途中で曲げている。工夫がされているようだ。
2009/2/15
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日本では一人もんが使うような大きさの冷蔵庫がある。
多分、日本から中古の冷蔵庫を輸入したのだろう。
それを使えるだけ使う。とうとう冷蔵庫の機械部分が機能しなくなる。
そんな冷蔵庫でも保温機能は使える。
日本の冷蔵庫の断熱性は優れている。
壊れた冷蔵庫から重たい機械部分を取り外すと氷蔵庫になる。
蓋を上になるように冷蔵庫を寝かして氷蔵庫として使っている。
しかも鍵がかかるように改造してある。この冷蔵庫が600円程度
で買える。こいつを2トン車の荷台に2台並べる。
この氷蔵庫に要冷蔵品の肉や魚をいれる。
使える機能を最後まで使うタイ人の発想に驚く。
冷蔵不要の野菜などはトラックのあちこちに吊るす。
そうすると立派なロートタラートになる。
直訳すると自動車市場となるが、移動販売車と考えればいい。
2009/2/16
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田舎町だからかもしれないが、道路標識が少ない。
だいたいは碁盤目状に町は作られている。
碁盤のひと升が日本の升より大きい。
地図で見ると二升歩けば行ける距離なので、歩き始めるとかなり
歩く。
欧米の町の場合、四つ角には必ず道路標識がある。
四つ角に立てば、今自分は何処に立っているのかすぐにわかる。
このタイの田舎町では必ずしも四つ角に道路標識があるとは限ら
ない。四つ角と四つ角の間に道路標識が立っていることがある。
一升が大きいから、それもそれなりに意味がある。
地元の人は道路標識を頼りにして町を歩くことがないので、地元の
人は通りの名前を知らない。
「この通りの名前は何と言いますか?」
なんて質問すると、暫く考えてから教えてくれる。
「えーと、ここはチュンポン通です。あそこがワサナ通です」
といった調子だ。
俺は地図で道路名を確認し町を歩く。
しかし通りには道路標識がないので自分が何処にいるのかしばしば
分からなくなる。
2009/2/22
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宅配寿司は日本だけのサービスではない。タイにもある。
レストランの前に小さな机が出ていた。
その上にプラスチック容器に入った寿司がある。
なんでこんな所に寿司があるのか不思議だった。
寿司の隣に看板が立っている。読むと「配送」と書いてある。
この単語の後ろに書いてある物を配送するのだなと推定できた。
配送の後ろに書いてある単語は「スーチー」と読める。
辞書で調べたが「スーチー」なんて言葉はにない。
「チー」と「シー」は互換性があることを思い出した。
互換性というより、タイ人はこの二つの音を明確に区別できない。
「スーチー」を「スーシー」と読み替えた。
それで「スーチー」は寿司のことなんだと理解した。
ああ、これは宅配寿司なんだ。
机の上に寿司がある理由もわかった。
お値段は一折50バーツとある。
この大きさと量、配送してくれて50バーツというのは安い。
デパートではもっと小さな物が一個10バーツしている。
幾ら安いからと言っても、食う気にならない寿司だ。
2009/2/27
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地図が読めないタイ人が多い。それは驚くほどだ。
バンコックのタクシー運転手や会社の運転手でも地図が読めない
者が多いと嘆いているサイトが沢山ある。
軍事上の理由か正確な地図がタイにはない。
俺が知っている限られた範囲だが、市販の地図なんて地図ごと
に湖の形が違う。地図に対する関心が低いから、自分たちに必要
な地図を作ろうともしない?
例えばこんなことがあった。
ご近所の誰かがレストランに配送をお願いした。
配送を担当しているおじさんがバイクでやってきた。
「すみません、何番地はどこですか?」
なんて聞いている。
この店の配送範囲は半径2キロと思う。どんなに遠くても5キロだ。
東京と違い、半径2キロにある住宅、建物なんて数が限られている。
アパートとかマンションなんてない。
宅配地図なんて正確な距離とか方位なんて必要のない。
目印と位置関係が分かればいい。
そんなものは簡単に作れる。
それを作らないから配送に時間がかかっている。
日本のように「遅いじゃないの!」なんて怒るお客さんもいない。
地図を作っても地図の読み方がわからないから地図を作らないのか?
タイ人は地図に関する関心度が低いのは事実だろう。
2009/2/27
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バスターミナルの切符売り場は日本の鉄道の切符売り場とは
ちょっと違う。バスの運行会社がそれぞれ売り場を持っている。
俺が田舎のバスターミナルに行くと、切符売り場の女は俺が
バンコックに行くものと決め付ける。
各売り場の女が「バンコック」と一斉に声を揚げる。
時間に余裕がある場合は俺好みの女の子がいる場所で切符を
買う。切符にもバーコードがあり、作業が電子化されているのが
わかる。まだ、切符の自販機はない。
外国人観光客が好む場所、チェンマイなどの大都市はタイ文字と
英語で行き先が書いてある。20キロとか50キロしか離れておらず
タイ人しか行き来しない場所は行き先の表示はタイ文字しかない。
タイ文字を読みながら目的の行き先の切符を売る窓口を探して
いた。俺がタイ文字を読んでいるのを見て、券売り場の女が同僚
の女に聞いていた。
「あの人、タイ人かしら?日本人かしら?」
「日本人よ」そんな声が聞こえた。
何処にも目的地へ行く切符を売る発券場がない。
「ここに行く切符は何処で買うの?」
バスターミナルで働いているように見える人に聞いた。
「この裏からでますよ」
裏に行くと別の男が俺の目的地を聞く。
「あのバスに乗りな」
一台のバスが動き出していた。男は大声を出してバスを止めて
くれた。バスに乗り込み、車内で切符を買った。
ローカルバスの場合、バスターミナルから発車するバスでも車内
で切符を買えばいいのだ。
2009/2/19
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工業力がついてきたとは言えタイの製品は粗悪品が多い。
それというのはちょっとしたことをやらないからだ。
金属製品ではやすりをちょっとかければ仕上がりがよくなるのに
やすり掛けをしない。
瓶や缶の蓋をあけてもちゃんと蓋を閉めない。
インスタントコーヒーなどは湿るし、瓶は倒れると液が流れ出す。
車の発進もローギアから始めないでセカンド、サードギアから始
める。ローギアから速度に合わせてギアを変化させる手間を嫌
がる。坂道発進でもハンドブレーキを使わず、クラッチ操作だけ
で発進しようとする。
ちょっと油をさせば快適に動くものも、油をささないためきしみ
ながら動いている。
道路の冠水を防止するためだろう、国道は他の土地から1メートル
ほど高く作ってある。
脇道や広場から国道に出るにはちょっとした急坂を上ることになる。
歩行者の安全確認、国道の交通量の確認のため、急坂で一時
停止してから発進する。ギアをセカンドにしたままハンドブレーキも
使わずに急坂を上ろうとするから、坂を上れないとか、ガタンゴトン
言わせながら坂を上って行く。
この例のように、ちょっとしたことをやらないタイ人が多い。
こんな例も見た。電線だか電話線の接続箱がある。
工事をした後、箱の蓋を閉め忘れたか、きちんと締めていないので
蓋が開いたままだった。これじゃ錆びて接続ロスが大きくなるか、
故障の原因になる。
2009/2/17
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生臭いにおいがする蟹を入れたソムタムをタイ人は好む。
この蟹でしばしば食中毒を起こす。ヌチャナートも
「お腹の調子が悪いのよ。昨日のソムタムのせいよ」とよく言う。
俺は食中毒の原因は不潔な環境にあると見ていた。
蟹をよく洗わない。死んでから長時間、高温の環境に放置された。
そんなことで食中毒が起きるのだと思っていた。
ところが食中毒を起こす原因はもっと簡単な理由だった。
ソムタムを売る屋台の開店準備を見ていた。
売れ残りの蟹が入った容器に、新しい蟹を継ぎ足している。
古い蟹は底の方にあり、新しい蟹が上にある。
次々と新しい蟹を継ぎ足すから、底にある売れ残りの蟹は何時の
ものかわからない。
運悪く売れ残りの蟹に当たった人が食中毒を起こす。
「そんなことをやったら駄目だよ!」
「・・・・????」
店主はなぜ、継ぎ足してはいけないのか分からないらしくきょとん
としている。
「古いものを上にして、古いものから売っていくのだよ」
俺の話を聞いていた人は納得してうなずいている。
店主は面倒くさそうに古い蟹を取り出し、新しい蟹の上に古い蟹
を乗せていた。
先入れ先出しの観念をもっていない。
古い物をさっさと売ろうという観念がない。
これじゃ、当然、食中毒が起きる。
他の商品でも同じような例を数多く見ている。
2009/2/16
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ある日本人がタイでレストランを開いた。店の前にもテーブルを出す。
そうすると隣の店の者がそのテーブルを自分のデスク代わりに使う。
日本人の感覚からすると、料理もとらず無断使用だから気分が悪い。
文句を言っても無視される。そんな記事があった。
通りに屋台を出す。同じような屋台が並ぶ。こちらの店が椅子を
来客用に用意する。来客が椅子を使用することはまれだ。
それでも客の為に椅子を用意しておく。これが日本的感覚だ。
誰も座らない椅子があると、隣の店の売り子がこちらの店の椅子
に腰をかける。ひどい場合は自分の店にその椅子を持って行く。
こちらの店の者も隣の店の開いた場所に座っている。
「そこは隣の店だから、座るのは不味いよ」と言う。
「マイペンライ」タイ人に聞くとそれが普通のことだそうだ。
自分の店の食卓を隣の店の男が事務所代わりに使うことに腹を
立てる日本人の感覚をタイ人は理解できないのだろう。
「客が居ないのだから、俺が使ってもいいだろう」
と言うのがタイ人の理論みたいだ。
日本とタイの文化と習慣の差を見る事例だ。
2009/2/17
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外国人と英語で話をしなくてはいけないのだが、英語の分からない
時の日本人の態度と、英語が分からない時のタイ人の態度で差が
あることを発見した。
日本人の場合、相手の英語が分からないと自分を責め、
「ごめんなさい」と言ってしまう。相手が間違った英語を使っている
かもしれない。相手の発音が悪いか間違っているので理解でき
ない。英米人でもわからないようなお国訛りの英語で話すから分か
らないのかもしれない。それでも日本人は相手の英語が分から
ないのは自分の能力不足と思ってしまう。
これがタイ人になると態度が全く違う。
「自分が分からないのは相手の英語が悪いからだ」と言う態度を
とる。俺が話す英語が悪いから私には分からないのだと非を相手
に押し付ける。
日本と違ってタイでは英語を理解するというのは一種のステイタス
だ。周囲から尊敬を得ている。それなのに、英語が分からないと
みんなが注目しているなかで言えない。ここで面子をつぶしたら
大変だ。自分の英語は優れているが、相手の英語が劣っている
から理解できないのだ。
悪いのは自分ではなくて話し相手だ。そんな態度をとる。
俺が話す英語を殆ど理解できないのに、
「あなたの英語の一部が理解できない」なんて言う。
国民性の違いだろうか、英語が分からない場合にとる態度は
こんなにも違う。
2009/2/27
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何だかお祭りのようなことを大きな場所でやっている。
お祭りなら沢山の店がでるのに、店は全然でていない。
興味にひかれてその場所に行った。
そこは中古車の競り売りだった。
次々と新しい車が運びこまれる。
現在、競りが行われている車の上に印が置かれる。
早口で男が値を釣り上げている。
競り場では特別な符丁が使われるのでタイ人でも分からない
言葉があると思う。まして俺など分かるわけがない。
それでも競りの掛け声を聞いていた。
時々、若い女が掛け声をかける。二種類の言葉を使い分けている
のは分かったが何を意味しているのか分からない。
多分「もう一声!」なんて客をあおっているのだと思う。
若くて可愛くてセクシーな格好をした女に「もう一丁!」なんて
言われると、おじさんは値を釣り上げたくなる。
その辺の心理を読んでいるのだろう。巧みに仕掛けられている。
値段が段々釣りあがる時は場内は緊張と興奮が走る。
これが買手がつかず、値段が段々と下がる時は場内の雰囲気
も沈む。競り場の雰囲気は何処も同じだ。
2009/2/27
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卵焼きではなくて焼き卵です。卵焼きというのは卵を割って加熱する
ものでしょ。これは殻ごと加熱したものだから焼き卵と呼ばなくちゃ
いけない。そう、俺は考えている。安くて美味くて、腹の足しになる
鶏の焼き卵はあるし何度も食べているが鶉の焼卵は食べたこと
がない。
天秤棒を担いだ男とすれ違った。男が売り歩いている商品を見た。
鶉の卵が串刺しになっている。
これは試食の価値がある。通り過ぎた男を呼び止めた。
「味見したいから一本ください」
鶏の焼き卵とどう違うのか比べたかった。
鶏の場合は殻に穴を開けて中身をいったんだす。
そして塩などで味付けする。
味付けした卵を殻に戻して加熱する。
鶉の場合は柔らかな殻に串を直接差し込んで加熱している。
卵に味がないから、ナンプラを入れた袋をくれる。
卵を串からはずし、殻を剥くのだがこれが面倒だ。
殻を取ったつもりでも、取った殻がまた卵にくっつく。
悪戦苦闘?して殻を剥きナンプラが入った袋に卵をいれてナンプラ
の味付けをする。こうやって食うと予想以上にうまい。
食いずらいのが難点だな。
2009/2/17
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タイの商人は今、自分の目前にいる客を大切にする。
これは何処の国でも同じなのだが、タイの商人は将来の客の事を
考えない。
例えばこんなことがあった。
クリスマスの時によく使われるピカピカするランプをこの町で最大
のデパートで買った。デパートから直接買ったのではなく、デパート
に入っているテナント商店から買った。通常、この種のランプには
予備のランプがいくつかついている。
家でランプを見た。そうすると予備のランプが入っていない。
予備ランプを入れる場所があるが、そこは空っぽだ。
俺の前の顧客が何等かの理由で予備ランプを請求した。
そこで商人は俺が買ったランプの箱から予備ランプを取り出して
俺の前の客に渡した。
そんなこととは知らない俺は予備ランプなしのランプを買った。
俺は運が悪かったと諦める。日本だったら大きなクレームになる。
なぜ、俺がここで諦めるのか、分からないだろうな?
俺にはこんな経験があるから、諦めたのだ。
ある時、パソコン関係の品を買った。
その品が不良だったか、何かの理由で店に行き、苦情を述べた。
そうすると新品の封を切り、試してから俺にくれた。
俺の苦情品を新品の箱に入れた。
運の悪い客は俺の苦情品を新品として買う。
予備ランプがなかったのは、運がなかったと諦めた。
2009/2/22
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観光地その他に出かける時、日本人は観光案内所で貰った地図、
ガイドブックの地図を持っている。通りの名前など日本語で書いて
ある地図は便利なように見えるが、タイでは役立たない。
道に迷っても通りの名前はタイ語だけ或はタイ語と英語で書いて
あるから、日本語の地図では自分のいる位置を確認できない。
タイ語と英語で書いてある地図が便利だ。
外国人が多く訪れる場所・名所以外は、田舎に行ったならタイ語
以外は通じないと思わなくてはいけない。タイ語と英語で書かれ
た地図を見せればなんとかなると思うと大間違いだ。
道を聞くにもコツがある。
地図を使って道を尋ねる場合、学生など若い人に尋ねなくては
いけない。40代以上の人に尋ねてはいけない。
その理由は
彼等の多くは老眼で細かい文字が読めない。
老眼鏡を持っていない。
目を細めて「うーん」と言ってお仕舞いだ。
こんな場合もある
人に尋ねられて知らないと答えるのは恥と考えるのか、
「あっち!」と とんでもない方向を指差される。指示された方角に
行くと逆方向だとわかる。日本人は「タイ人の嘘つき!騙された!」
と怒る。タイ人は「あっちだ」と信じたから教えてあげたのだ。
その情報を採用するかしないかはアンタが判断しなさいという
考えのようだ。
209/2/27
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ココナッツを割ると中に水が入っている。この水はちょっと生臭いが
甘みがありうまい。なにか体にも良さそうな気がする水だ。
「この水は体によいのだ」とタイ人が言っている。
ココナッツを割ってストローをさして売っている店もある。
これは一番簡単な商売だ。店にとってもココナツの殻を捨てる手間
がいらない。客は水を飲んだ後、殻の内部にある白い肉をほじくっ
て食べることができる。この白い肉を乾燥させて菓子の材料にする。
喉が乾いたからココナツを買うのであって、白い肉まで食べようと
する人はいない。中の水を飲んだら、殻を道端に捨てる。
こうしてタイの道路は汚れる。
彼の店は売り方がちょっと違っている。ココナッツの水を氷と一緒に
冷やしている。その水のなかにココナッツの白い肉を小さく切って
入れてある。その水をプラスチックのコップに入れて出してくれる。
果実入りのジュースを飲む感じでココナツ水を飲める。
これがいい感じで飲める。
「これはコカコーラより美味いね」
お世辞と知りながらも彼は笑った。美味いかどうかは好みの問題だ。
栄養価とか栄養のバランスから考えると人工飲料のコカコーラより
天然のココナッツの水のほうが体によいのではないか?
「この水は季節によって味が変わるだろう?いつが美味い季節
なの?」
「雨季のココナッツは美味いよ。最高だぜ!」
ココナッツにも旬があるのだ。
2009/2/13
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老婆が街角に座り、なにかを売っている。
小さな木だ。何に使う木か分からない。
俺は木の大きさから判断して歯磨きに使うのではないかと推定した。
これを噛んで先を潰すといい香りがする。噛んでいるうちに歯ブラシ
のようになる。
或は酒に入れて薬酒にするのかと思っていた。
老婆にこれは何だと質問した。
「あたしゃ、目が悪くて見えないのじゃよ」
そんなことを言いながら、誰かがパソコンで作ってくれた看板を見せ
る。俺はタイ文字なんて少ししか読めない「アキメクラ」だ。
一束一バーツと書いてあるのはわかった。
何束も買っても意味がないが、目の見えない老婆の為に五束買った。
家の戻り「これは何か?」と聞いたが誰もわからない。
結局これは焚き付け用の木だろうという結論になった。
こんなものが商売になるのもタイではガスがあっても炭を多用して
いるからだ。
2009/2/27
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タイの経済力が向上したのに連れて、今までに見られない現象が
起きている。まず、太った女と肥満児が増えたことだ。
これはファーストフードや菓子を沢山食べるようになったからと推定
している。
次に落書きが増えたことだ。
ペンキを買って落書きをする金があったら何かを食っていた。
今は落書きをするペンキを買う余裕ができたということだろうか?
経済的余裕ができたことは良いことだが、町を汚すのはよくない。
何処の国でも落書きは芸術性も品もないものばかりだ。
町が汚れたなと思いながら歩いていると、日本語が書いてある
張り紙があった。
これって日本人がやったのだろうか?
日本語を話すタイ人が増えているが、その多くは夜の巷で覚えた
日本語だ。例えば、中年の親父を「社長さん」って呼びかけるのが
正しい日本語だと思っている連中が多い。
タイの夜の歓楽街で「参上」なんて言葉をつかうわけがない。
「参上」の意味を理解するタイ人は居ないと見ていい。
ワープロでこんな文字をタイ人は打てないだろう。
タイで売っているパソコンには日本語のフォントはない。
フォントを入れ、言語を日本語に設定し、タイ語から日本語に切り替
えないと日本語の入力はできない。
そうすると、日本人がタイに来て、タイの町を汚しているのかな??
2009/2/27
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小学生が学校へ行くのに空き瓶を抱えている。
不思議に思って質問すると今日はタナカンクワットの日だそうだ。
タナカンクワットは空瓶銀行とでも言えばいいだろう。
学校へ空瓶を持っていくと業者が空瓶を買い取ってくれる。
子供はこんな通帳を持っていた。
学校の先生に空瓶銀行について質問した。
道路などにゴミが散らかっている。政府は環境の改善を望んでいる。
そこで大勢の子供の力を借りることにし、空瓶銀行を創設し、その
アイデアを実施した。子供が空瓶を学校にもってくることで空瓶の
回収が容易になり、瓶のリサイクルに役立つ。
日本でも採用したいなかなかよいアイデアだ。
アルミ缶、ペットボトルなども集めれば良い。
子供の環境への意識を高めることになる。
2009/2/27
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タイには1、5、10バーツのコインしかない。実際には1バーツ以下
のコインはあるが、大型のスーパーなどで使われるだけで一般には
流通していない。
レジを置けるような店はコインをレジにしまってある。
多くの小売店は小さな容器にコインをいれてある。つり銭を出す時
は容器の中をかき回して必要なコインを必要な枚数だけ探す。
そのため、つり銭を渡すのに時間がかかる。
三種類しかコインがないのだから、容器を三個用意してそこに別々
にコインを入れればよいと提案した。
「おお、それはいいアイデアだ」
早速、プラスチックの容器を三個用意して、それぞれに1,5,10と
書き、容器にコインを分類して入れていた。
コインが分類されたので、つり銭を渡すのに時間がかからなくなった
と思った。数日後に店のコイン容器を見た。
どの容器にも1,5,10バーツコインがごちゃごちゃに入っていた。
これじゃつり銭入れが一個から三個に増えただけだ。
こんな小さな事でも今までに出来上がった習慣を替えさせるのは
いかに大変か痛感した。
2009/2/27
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日本にあってタイにないものを見つけた。さんざん探したが見つから
ないのでタイにはないものと結論した。
10円玉とか100円玉を綺麗に整頓する皿のような物が日本にはある。
いちいち数えなくとも10円玉が何枚、100円玉が何枚とすぐに分かる。
この皿のような入れ物の名前は何と言うのだ?
硬貨整理皿とでも言うのだろうか?
そんな硬貨を整理する皿をタイで探した。もちろんタイの硬貨を整理
するためだ。日本語でもなんというのかわからない物を探す。
市場から文房具店・・・・・と探し回った。俺の覚束ないタイ語で店員
に質問する。店員の傍にいて俺の話を聞いていた男が店員に俺が
求めているものを説明してくれた。
店員は首をかしげていた。
デパートに行った。そこの店員は少し英語が分かりそうだった。
表現や言い方を変えて俺の求めているものを説明した。
やっと理解したと思ったら、銀行でコインを振り分ける大型の機械を
もってきた。
それを見たら疲れちゃって、探すのを諦めた。
2009/2/27
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坊さんは黄色の衣をまとっている。あの服は紐などを使わずに体に
巻き付けるものだと理解していた。新米の僧は衣をきちんと身に
つけることができず、衣がすぐに緩んでしまうそうだ。
僧が出歩く時は肩から布製の鞄をさげる。パソコンショップなどで
品定めをしている僧は金銭を布の鞄に入れていると思っていた。
僧の衣が緩んだ所を見てしまった。
胸の辺りには大きなジッパー付きのポケットがある。しかも4個ほど
ポケットがある。B5判の本でも入れることができそうな大きな
ポケットだ。
僧の生活は食い寝るところに不自由しない。金がなくとも生きて
行ける。我々の生活からかけ離れた場所に僧は生活していると
思った。僧の服にポケットを見ると、僧の生活もなんだか俺達の
生活とあまり変わらないと見えてきた。
2009/2/18
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直訳すると卵バナナという小さなバナナを焼いて売っている。
それは珍しいことではない。
俺が奇妙に見えたのは、焼いたバナナを押しつぶしていることだ。
せっかく丸くて綺麗に焼けたものをぐしゃっとつぶす理由がわから
なかった。売り子にバナナをつぶす理由を聞いてみた。
「こうすると美味しくなるんだよ」
「本当かよ?」
「そうだよ」
納豆のようによく掻き混ぜると美味しくなるものもある。
それには化学的根拠がある。
物理的にバナナを押し潰して美味しくなる理由がわからない。
俺はこの店主の言葉を半信半疑で、つぶさないバナナを買った。
口にいれた。ちょっと甘みがある。
焦げた香りがする。
だいたい予想通りの味だった。
外が硬くて中が柔らかい。
もう一回、口に入れてバナナを噛んだ。
すると焦げ目がついた硬い外側の部分が口に当たった。
これは不快だ。
焼いた後にバナナをつぶすと硬い部分がつぶれて口に当たらない。
バナナをつぶす理由がわかった。
バナナの潰し方にもいろいろある。この店は板でバナナを押し潰して
いる。肉を叩くミートハンマーを使っている店、ローラーを使っている
店と、店ごとに工夫を凝らしている。
我々の目から見ておかしいと思うものには必ず何かの理由がある。
2009/2/11
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町の名所に記念写真屋がうろうろしている。ここで記念写真を撮る人
が多い。時代と共に写真屋の仕事も変わってきた。
最近、彼等が持つカメラはデジカメが多くなった。客の要求も変化し
ている。昔は撮影後30分したら戻ってくると現像された写真を受取
ることができた。そんなシステムでよかった。
今はスピードが要求される時代だ。
幸い、写真印刷専用の小型プリンターが開発された。
デジカメを持つ写真屋はプリンターも現場に持ち込むようになった。
屋外だから電源はバッテリーを使用する。コンバーターで電圧を
220ボルトの交流にしてプリンターに供給している。
小型プリンターでその場で印刷して客に渡すことができる。
カメラを持つ人が少なかった時代はこのような記念写真屋も生業が
成り立っていた。今は多くの人がデジカメを持ち、カメラ付携帯を
持っている。
写真を印刷する市場が拡大し、競争も激化しプリントも一枚2バーツ
と大幅に安くなっている。状況と印刷枚数にもよるが一時間もすれ
ば、印刷されてくる。
このような記念写真屋という商売も間もなく成り立たなくなっていく
のではないか?
2009/2/29
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青緑の機械はお馴染みのカキ氷の機械です。写真を撮り忘れた
けど、小規模なカキ氷屋さんはカンナを逆様にして木の台の上に
乗せます。風呂場で使う木製の椅子にカンナを取り付けたと想像
すれば良いでしょう。それに氷を乗せます。
釘を打ち付けた板で氷を抑えながら氷を前後に動かしてカキ氷を
作ります。これってかなり力がいりますよ。
調理用具を専門に扱う町があります。その町でよく見かけるのです
がその用途がわからない機械があります。
写真では はっきり写っていませんが、青緑のカキ氷の機械の左に
ある白っぽい機械です。蓋を開けると、回転する刃が見えます。
これで何かを切るのだとわかります。
タイ料理でこれを使って切らなくてはいけない素材はなにか?
薄切りにしたものを料理に使うか?タイ料理では薄切り肉など
使わない。色々考えたがこの機械の使い道がわかりません。
店の人にお聞きしたらこれでカキ氷を作るのだそうです。
中空の円筒状の氷、砕氷、塊といろいろな形の氷がタイにはあります。
それぞれ用途がちがうようです。
青緑の手回しのカキ氷機械では塊の氷しかつかえません。
白っぽい機械ならどんな形の氷でも使えるので便利かもしれませんね。
2009/2/27
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普段は菓子など買わないのだが、どう気迷ったのか菓子を買った。
アルアーとブンオップという菓子だ。名前を聞いた時、すぐにメモって
おけばよかった。ちょっと時間が経ったので名前は不確かだ。
あとでタイ人に聞けばいいや。そんな風に簡単に考えていた。
俺の記憶ではとんがり帽子のような形の菓子がアルアーで四角い
菓子がブンオップだ。
アルアーはもち米を甘くしたものに砂糖かけした見たいだ。
ブンオップはジェリーに砂糖がけしたものだ。
この二つのうち俺はブンオップに軍牌をあげる。
原色の菓子が多い中でこのような淡い色使いというのも珍しい。
菓子の名前を確認しようと思い、タイ人に聞いてみた。
「これの名前はなんというの?」
「カノム」と自信ありげに答える。それくらいの事なら俺はタイ人に
質問しない。カノムと言うのは菓子の総称だ。
「なんというカノムなの?」
「うーん、わからないわ」
近所の人に聞いても正確な名前は分からない。
名前を知りたければ、買ったその場で売り子に聞かなくてはいけない。
2009/2/16
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日本語表示の製品が沢山ある。どうやら日本語をパッケージにつけ
ると格好いい、高級品、高品質商品に見えるらしい。
おかしな日本語のものもあるが、ちゃんとした日本語表示のものも
ある。
ゴム印で「よい」と押したようなデザインがある。この日本語を読めな
いタイ人には模様にしか思えないだろう。日本人が見ると笑っちゃう。
ここまでは普通のデザインの商品だから驚かない。
Sesame Stickという商品には「くろごまうわぬりリアル」と書いてある。
原材料の部分はタイ語と英語だ。バーコードがある。
バーコードから中国製品か中国の商社が関係しているとわかる。
そのバーコードの隣にアラビア文字がある。
ローマ字でhalalと書いてある。
ハラールというのは回教の教えに従って作られた清浄な食べ物の
ことだ。豚の油を使っていないとか、肉をとるために動物を屠殺する
前にお祈りをする・・・・など回教の儀式に従った食べ物がハラール
だ。ハラールは清浄な食品でそれ以外の食品は不浄であって
回教徒は食べてはならない。
清浄に作られていると認められたものだけがhalalのマークがつく。
日本で言えばJASマークのようなものだろう。
ハラールの認定マークがついた食品なんて日本にはない。
インドネシアとかマレーシアその他の回教国から日本に移り住む人
が増えた。日本でもハラールの認定マークをとる企業がでるだろう。
2009/2/12
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ウスターソースってわかる?
日本のトンカツソースの元になったソースだ。
トンカツソースというのはウスターソースを日本人の好みにあわせて
調合したものだ。トンカツソースなんて日本人だけが好みタイ人も
白人も使わない。ソースといえばトンカツソースと日本人には固定
観念が出来上がっているので、外国から輸入されるウスターソース
を日本人は好まない。
実験したことがないからわからないが、今までの経験からタイ人も
ウスターソースは好まないと思う。
それなのに、タイ製のウスターソースがあるので驚いた。
味はトンカツソースに近い。
ウスターソースのタイにおける市場は小さい。
それでもその市場を狙ってウスターソースを作っている会社がある
のだ。
オーストリア人が経営するレストランに入った。
いろいろなソースがある中にタイ製のウスターソースがあった。
何処でこんな物を仕入れるのだ?特殊なルートから仕入れている?
大きなスーパーに行ってウスターソースがあるか調べた。
あるとしたらこの辺りだろう。狙いを定めて探した。
目立たない場所にタイ製のウスターソースがひっそりと置いてあった。
タイ人の中にもウスターソースを購入する層があるのだ。
2009/2/16
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町を歩いていたらチンチロリンと乾いた音がした。
音のする方を見ると、男が盛んにさいころを振っている。
ここは賭場ではない。町の目抜き通りだ。
男のやることを見ていた。どうやら良いさいころを選んでいるようだ。
三個のさいころの目を4で揃える。それを茶わんに入れて振る。
出てきた目でさいころの良し悪しを判定しているようだ。
若い男が同じ事をして良し悪しを判定している。
男は若い男に何やら教えている。
その全てを店主のおばさんは黙って見ている。
店主は全てを知っているという雰囲気だ。
このさいころも賭場で使われるのだろう。
男たちの真剣な様子に圧倒されるものを感じた。
この店はサイコロの専門店のようだ。
日本じゃサイコロは玩具かゲーム売り場にしかない。
サイコロ賭博はタイでは盛んに行われるので、サイコロの専門店が
あってもおかしくない。賭博は法律で禁止されているはずだ。
手を出すと、長いことタイに滞在させられるから要注意。
2009/2/27
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市場で野菜を売っているおばさんがアイスキャンデーを食べていた。
それを見たら俺もアイスキャンデーを食いたくなった。
疲れると甘いものを食いたくなる。しかも暑い。
こんな時は冷たくて甘いアイスキャンデーはちょうどよい。
アイスキャンデーなんて長いこと食っていない。
アイスキャンデー屋を見かけたら買おうと決めた。
ちょっと行くとアイスキャンデー屋のような男がいた。
アイスキャンデー屋は一人の男にアイスキャンデーを渡したところだ。
「ひとつください」
「何にしますか?」そんなこと聞かれても困る。なんでもいいのだ。
「あれと同じ物」
今、アイスキャンデーを買った男の方を指差した。
男は指をさされてむっとした顔をしていた。俺が同じアイスキャン
デーを買うのを見て男はニヤリと笑った。
俺もニヤリと笑った。
アイスキャンデーだと思って齧ったら、アイスクリームだった。
しかもなんだこの香りは!くせー!ドリアンの香りがする。
生のドリアンはくさいとは思うが食う。
ドリアンの香りは好きな人は大好き、嫌いな人は大嫌いという香りだ。
アイスクリームになったドリアンの香りは俺の好みに合わない。
香りと言うより悪臭だ。捨てようと思った。
タイ人ならその辺に平気で捨てる。
俺はタイ人に道を汚さない見本を見せなくてはいけない。
ゴミ箱を探しながら歩いた。
そのうちにドリアンアイスクリームが溶け出してくる。
それを舐める。だんだんドリアンの香りになれてきて悪臭と感じなく
なっている。まだゴミ箱がない。また舐める。
ゴミ箱が見つかった時はアイスクリームは棒だけになっていた。
不味いと言いながらドリアンアイスクリームを全部食べていた。
俺にとってドリアンアイスクリームは美味しい物なのだろうか?
全部食ってしまったのだから、美味しい部類だろうな。
それともケチだから全部食ってしまったのか?
2009/2/27
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夕暮れまじかな海辺の椰子の木の下で若い二人が抱き合ってい
る。二人と椰子は黒いシルエットになっている。
海はまだ明るく映っている。
そんな海外旅行の広告をよく見る。
恋に憧れる若い女はその光景を見て「ロマンチック」なんてため息
をつく。俺にはそんな二人は危険を知らないバカモンに見えてきた。
ごくごく普通の町の中を歩いていた。俺の前方で大きな音がした。
音は一回しただけで、その後は今までと同じ町の騒音が続いてい
る。道の真ん中に椰子の実が転がっている。
道路脇には高さが20メートルにもなる椰子の木がある。
その椰子の実が落ちたのだ。
椰子の実の重さは一キロほどだ。
これを頭に直撃されたなら死ぬ。体に当たれば骨折する。
椰子の実はいつ落ちるか誰にもわからない。
椰子の木陰で抱き合っていたら、椰子の実の直撃を受け・・・・・・。
二人の愛に終わりがきた。これって悲恋?
あの高さから椰子の実が落ちてきたらどうなるか誰にでも想像が
できる。しかし経験しないと落果する椰子の実の恐ろしさがわから
ない。一度でもそのような経験をすると、椰子の木の下を歩く時は
注意する。
2009/2/27
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タイの市場は夜明け前から騒がしい。夜明け前が一番忙しい時間帯
なのだろう。市場には活気があふれている。大きな市場を一通り回る
と夜が明けていた。市場の外に出た。
おばさんが立っていた。若い僧が歩いてきた。
おばさんが知っている僧らしい。おばさんは僧に声をかけた。
僧は立ち止まった。その時俺は二人は立ち話をすると思った。
おばさんは大急ぎでゴム草履のようなサンダルを脱いだ。
僧の前で膝まづき、手を合わせ僧を見上げながら話をしている。
年長者に敬意を払うのがタイの習慣だ。
おばさんよりはるかに若い僧におばさんは敬意を払い、サンダルを
脱ぎ、膝まづいて話をしている。
僧であることはいかに尊敬されることなのかこの例からもわかる。
2009/2/16
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スカイラークがタイにもある。そこにサテーキサバというのがある。
直訳すると「鯖ステーキ」だ。写真を見たところ鯖の塩焼きのようだ。
前から気になっていたので、賞味することにした。
鯖に相当するタイ語があるのだが、日本語のサバが定着している
ようだ。サバというとタイ人は高級感を感じるのかな?
日本人が運転手と言うよりドライバーと言うのを好む傾向と似て
いるかな?
「サテーキサバ」と注文すると冷蔵庫から一夜干しのような鯖の
切り身をだしてきた。それを油をしいた鉄板で焼いている。
炭のコンロで網焼きするのではないからステーキと言うのだな。
キャベツと人参の千切りがついている。日本の洋食屋のスタイルだ。
小さな皿にはマヨネーズがのっている。マヨネーズをタイ人は気取っ
た味ととる。これだけでも高級感がある料理なんだ。
タイの庶民と同じ物を食っていないと、この感覚はわからない。
このサテーキサバを日本で出したなら、「ナンだこれ!?」って呆れ
られる。タイではこの盛り付けはハイカラなセンス溢れる盛り付け
なのだ。わかるかなぁー?
鯖の皮が生臭い。皮を除いて食べる。
サテーキサバの味は鯖の一夜干しをフライパンで焼いたと思えばいい。
タイでは欧米風、和風の料理は高級な料理とされる。
日本ではどうということがない料理だが、タイでは特別な料理だ。
普通のタイ料理が30バーツ前後だがこのサテーキサバは50バーツする。
2009/2/9
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国道を走るとあちこちに立て看板が立っている。
広告の種類は建売住宅から食い物までなんでもある。
立て看板の多くはビニールコーティングされた布製だ。
それも時間がたつと壊れる。
壊れた立て看板はその場所にそのまま放置される。
看板だからちゃんとした板と材木で作ってあると思うだろう。
そんなもので看板を作ったなら、すぐに材木泥棒に壊される。
看板を壊されないように、或は経費節減のために古材・廃材・
木の枝で看板を作る。日本人から見たら価値のない材木や枝だ。
まあ、この広告を見てくれ。これは立て看板としては小さい。
大きな物でも似たような構造だ。
何かの理由で棒を探していた。
立て看板が壊れて放置されている。
そこにある廃材が目的にちょうど合う。
「この木を貰おう」
同行したタイ人が「だめだめ!」という。
「えっ!?」
「それはこの土地の所有者の物だから、勝手に持っていくと怒ら
れる」
日本人から見るとごみとしか思えない廃材にも所有者がおり、
所有権を主張する。俺が知らないタイを見て驚いた。
誤解されると困るし、タイの名誉の為に一言付け加えよう。
廃材で作った立て看板もあるが、ちゃんと土台をつくり鉄骨を組み
上げビルの三階ほどの高さに取り付けた縦横10x20メートルほど
の大きい看板も数多くある。日本では見ることがない、大きな
広告塔だ。もっとも、こんな大きな看板を日本で作ったなら、景観の
邪魔だと訴訟になるのは間違いない。
2009/2/16
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市場に行くと白や黄色の四角いものがある。姿、形からハンペンだ
と思っていた。売り子に「これはなんだ?」と聞いたら豆腐だという。
これを食わせる店があった。
売り子の若い女は一生懸命に英語で話をしようとしている。
「これは豆腐なの?」
「はいそうです」
「これを味見しよう」
「お幾つご入り用ですか?」
「・・・・?」
女はハンペンの四つ切りほどの豆腐を指差す。
「4つ、もらおう」
注文を受けて女は豆腐を揚げだした。揚げだし豆腐だ。
絹ごし豆腐なら中がふんわりしておいしい。
この豆腐は木綿豆腐より硬い。厚揚げ見たいなものがでて来た。
甘くてちょっと酸っぱくて辛いソースに砕いたピーナッツをかけた
ソースが一緒についてくる。最初はちょっと抵抗があったが、
食い出すとこの味もうまい。
俺は醤油、生姜と青葱と一緒に食べる日本の揚げ出し豆腐を
思い出しながらタイの揚げ出し豆腐を食っていた。
この店の女は髪を染め、鼻にピアスをした変な感じの若い女だ。
でも仕事はてきぱきとやり、無駄口をきかない。
珍しいタイプのタイ人だ。
2009/2/12
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時々、町中の広場に床屋が店を開く。
床屋はお揃いの白い服を着ている。
今まで、広場で店開きをしているのは何かの祝日だった。
髪を刈って貰っている人は身なりが貧しい人ばかりだ。
それらの事実からこの床屋は社会奉仕だと思っていた。
今日は祝日でもないのに、広場に床屋がでている。
不思議に思い、床屋について知りたくなった。
彼らが活動しているそばにちょうど観光警察があった。
観光客を専門に扱う警察だから英語が通じる。
警察の通訳で床屋の親分の話を聞いた。
「これですか?私たちは技術学校の理髪部門です。こうして卒業前
に奉仕活動と実践訓練をしているのです。費用は無料です。」
なるほど、だから金のない人がここで散髪をしているのだ。
観光客も少ない田舎の観光警察だからヒマだ。
俺のつまらない質問に対応してくれる余裕がある。
「ありがとうございます」と礼を言って辞そうとした。
「あっ!ちょっと待ってください。署まで来てください。」
なにかと思って署に行くと、分厚いノートを差し出された。
「ここに、記名してください」
今日はまだ誰も記名していない。俺が最初だ。
昨日も一人しか記名していない。
ボランティア床屋と観光警察の仕事を見てしまった。
タイ旅行中に何か事故にあったなら、観光警察に行けと言われている。
他では通じない英語がここでは通じる。
観光客の手助けになるだろう。
2009/2/12
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日本語でコーヒーと言うとタイ人は赤面する。
どうやらこの言葉は恥ずかしくて人前で口にする言葉ではない
らしい。俺は「コーヒー」というカタカナの日本語だからいけないのか
と思っていた。そうしたら英語で「coffee」というのも悪いらしい。
そんなことを書いた英語のサイトがあった。
そのサイトでも「coffeeというな」と書いてあった。
英語の「coffee」 をタイ文字に書き直すと「ゴフィー」となる。
コーヒーを飲みたくなったなら、タイ人はどういうか?
タイ人はコーヒーと英語で言わないでフランス語が訛った「ガフェー」
と言う。それなのに、タイ文字で「ゴフィー」と堂々と書いた物がある
と英語のサイトは驚き笑っていた。俺も「ゴフィー」と書いた物を
探した。
この瓶のラベルは「ゴフィー」と読める。
こちらの看板はちょっと訛って「ゴッフィー」となるな。
どちらもタイ人からすると恥知らずなのかな?
2009/2/10
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蚊の撲滅は進み、かなり蚊は少なくなった。しかし蝿は多い。
不潔であることが当たり前の生活なので、不潔を不潔と思わなく
なっている。蝿は不潔を好む。蝿は食べ物があるとすぐに寄ってくる。
緑色のどろどろした液を箸のような棒につけている。
俺が子供の頃、駄菓子屋でトリモチを買った。トリモチを竹の棹に
つけてトンボを取った。トリモチに殺虫剤を入れたものと思えばいい。
何本もの殺虫剤入りトリモチをつけた棒を箱の中心に置いた木片に
立て掛ける。蝿は緑の棒に吸い付けられるように寄ってくる。
あるいは緑の棒を止まり木と勘違いして止まる。
そうすると足が粘着液にくっつく。
それに気づいた蝿は猛烈な勢いで羽根を動かす。
運がよくて元気な蝿は粘着液を糸のように伸ばして粘着液から脱出
する。力尽き、粘着液に倒れこむ蝿もいる。
粘着液から逃げ出しても粘着液に含まれる殺虫剤の影響で蝿は
すぐに死ぬ。蝿が死ぬ前に食べ物にたかるかもしれない。
そうすると殺虫剤が食べ物に移行する。これは危険だ。
その危険を考えずに蝿の殺虫剤と食べ物を近くにおいてある。
食事をしている傍で殺虫剤をスプレーするくらいだから、こんなの
驚くにあたらない。この殺虫剤はかなり効果があると見た。
日本にも昔は蝿とりリボンというのがあった。強力な糊がついた
リボンだ。これに蝿がべっとり付く。
このリボンが髪の毛につくと悲惨だ。髪の毛が抜けてしまう。
この他にガラスでできた器があった。中に腐った魚などを入れて
おくと、蝿が臭いにつられて器に入る。入ると出られない構造に
なっている。器の中には水がはってあり、いくら出ようとしても出ら
れない蝿はやがて疲れて水の中に落ちて死ぬ。
これは化学薬品を使わない安全で環境に優しい蝿とり器だ。
これを東南アジアやアフリカで普及させればいいのになと思って
しまう。
興味がある方は「蝿とり ガラス」で検索すればいくつものサイトが
ガラス製蝿とりの写真や図をだしてますのでそちらを参照してください。
2009/2/21
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メッキをしてくれる場所を探していた。日本でもメッキをしてくれる店
を探すのは簡単ではない。それをタイでやろうとしていた。
見つからないだろうな。最初から諦めていた。
町を歩いていたら首飾りや時計のベルトなど小物をメッキしている
屋台があった。細い導線に鰐口クリップをつけて薄い金の板を電極
にしている。まるで中学・高校生の化学実験のような装置だ。
電圧・電流なんて測定していない。
装置と言ってもポリ容器に硫酸銅の青い液や、塩酸などを入れて
あるだけだ。飲料水のポリ容器を切って薬品を入れている。
それで役目をはたすから十分だ。商用電源を直流にしているようだ。
首飾りをメッキしているのを見た。塩酸だか硫酸の中で洗っている。
次に簡単に金メッキをする。そして洗剤とブラシで首飾りを洗う。
その後、またメッキをするようだ。
料金はどのようにして決めるのか不明だ。どのくらい厚くメッキされているのか、通電時間や電流量などで推定するのだろうか?
測定器がないからそれはできない。
おもしろい商売を見た。タイでは屋台を丹念に見ていくと、日常生活
に必要なものは全て屋台で間に合うことが分かる。
新聞を買って、飯でも食ってから銀行に行こう。
四つ角で周囲を見回すと、一軒の屋台があった。
あそこで飯を食おう。近づいたら、飯屋ではなくて菓子屋か飲み物屋
のようだ。がっかりした。その屋台の先で新聞を売っている。
新聞屋に向かいながら屋台の売り物を見た。
そうしたら、昨日見たメッキ屋だった。
昨日、聞き忘れていたことを聞くことにした。
電源は商用220ボルトの交流を直流に変化してそのままメッキに
使っている。一度、蓄電池に直流をため込んでから使うのではない。
使っている薬品について聞いたがわからないようだ。
手持ちの小型辞書では硫酸銅とか塩酸なんて言葉はない。
経験的にタイ語の薬品名は英語が訛った物が多いことを知ってい
る。透明な液を指差して「これはハイドロクロリックアシドか?」と
聞いたが分からないという。
俺のタイ語が通じないのではなく、薬品名を知らないようだ。
そこで化学式なら分かるだろうと思い、CUSO4とかHCLと書いて
みたが理解できないようだ。
「あたし、薬の名前はわからないのよ」そんなことを言っている。
化学の知識はまるでもたないで、硫酸、塩酸など劇薬を取り扱って
いる。化学の知識を持たずに劇薬を取り扱うことはきわめて危険だ。
もし子供か自動車が屋台にぶつかって薬品が飛び散ったなら大変
だ。衣類に穴があくくらいですめばいい。薬品が目に入ったなら
確実に失明する。
事故が起きないことを切に願っている。
2009/2/18
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建築現場などでよく使われる青いビニールシートがある。
通常、ブルーシートと呼んでいる。
これと同じような使い方をされるブルーシートがタイにもある。
ただ、タイのブルーシートは日本の物とは違い、濃い青と薄い青
の縞模様だ。
屋外で食事をするのに、俺はビニールシートを用意しようとした。
タイ人「それはダメだよ」
俺 「・・・・?」
ここはタイだ。タイ人の言うようにしよう。俺は提案をひき下げた。
タイ人が用意した物は茣蓙だった。
日本で言えば花茣蓙のように赤や緑などで模様織した茣蓙だ。
俺たちが日本でタイ人とピクニックに行き一緒に屋外で食事をする
場合、何の疑問もなくブルーシートを広げてその上に座り、食事を
し、酒盛りをして盛り上がっている。
同行したタイ人は何でこんなみすぼらしいブルーシートに座るの?
と疑問を抱いただろう。
それを思うとおかしくなり一人でニヤリと笑った。
2009/2/27
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国道沿いやあちこちの雑貨屋その他で赤い液体をいれたウイス
キー瓶を並べているのを見る。それはガソリンだ。
引火したら危険だと思うのだが、誰も危険と思っていない。
法律でそのような販売方法が規制されていない。
瓶さえあれば誰でもガソリンを販売できる。
特別な免許や、安全・防火設備も必要ない。
陽の当たる場所にガソリンが放置されている。
瓶売りガソリン屋はガソリンスタンドからガソリンを通常の値段で
買ってきて瓶に詰め替える。瓶の大きさは700ccだ。
ガソリン1リットルは20バーツほどだ。
それを一瓶25バーツで売っている。
30リットルほどのポリタンクでガソリンを買ってくる。
ポリタンクを丸椅子の上に乗せる。
ホースをポリタンクの口に入れる。
ホースのもう一方の端から空気を吸い、ガソリンをホースに導く。
強く空気を吸うとガソリンが口の中に入り込む。
「ペッペッペッ!ゴホン、ゴホン」とやって口に入ったガソリンを吐き
出す。後はサイフォンの原理でガソリンを瓶に次々と詰めて行く。
普通の人の交通手段はバイクだ。バイクだからガソリンは沢山
必要ない。一瓶のガソリンを入れれば、かなり走れる。
ガソリンスタンドまで走っていき、ガソリンを入れれば安上がりなの
に、みんな近所の店や通りがかりの店で瓶売りのガソリンを買って
いる。国道筋の飲料スタンドでも瓶詰めのガソリンを売っている。
こんなガソリンを利用するのはバイクだけだと思っていた。
国道で乗用車を止め、瓶からガソリンを入れているのを見たことが
ある。ガス欠で止まったなら日本では大変だ。
駐車違反、整備不良だか始業点検の怠りで捕まる。
その辺に車を止めてもタイではかまわない。
そして瓶売りのガソリン屋を探す。次のガソリンスタンドまで走るの
に必要な2-3本のガソリンを買えばいい。
多分、そのうちに規制ができて瓶売りのガソリン売りは禁止される
だろう。
2009/2/15
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移動はもっぱらソンテウを使う。この田舎の町には公共バスはない。
ソンテウには行き先が書いてあるが、タイ文字を読めないと何処に
行くのかわからない。運転手か乗客に目的地を告げてそこへ行くか
どうか確認する手もある。
こうして乗り込んだソンテウにビルマ風の化粧をした女が三人いた。
ビルマ政府の圧政から逃れタイに密入国するビルマ人は多い。
タイ政府も密入国者の取り締まりを行っている。
バンコックでは密入国と知りながらビルマ人を低賃金で使う雇用
主がいる。タイ警察に捕まり、ビルマに強制送還されるのを恐れ、
休みでも家からでないビルマ人が多いという話を聞いた。
ビルマに強制送還されれば極刑が待ち受けている。
そのような状況の中で堂々とビルマ風の化粧をして町を歩けば
目立つ。逮捕してくれと言うようなものだ。
彼女等はビザを持っているのだろうか?
俺が今まで出会ったビルマの女は俺好みの女が多かった。
なんでビルマにはこんなにも美人が多いのだと俺は驚いた。
しかし、今日の女達は俺の好みに合わなかった。
2009/2/22
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どんな食べ物が何に効くのか広告の中に探っている。
これも本当に流行がある。最近、流行したのが朝バナナダイエット
だ。一時はバナナが品薄になるほどの人気だった。
何を食っても体にいいような気がし始めている。
或は一定の傾向があるかもしれない。
タマネギは毎月、何かに効くということで出てくるみたいだな。
それじゃ、今日はどんな広告があるか見てみよう。
「はつらつ元気」誌 2009年04月号 芸文社
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脂肪燃焼!腹やせズバリ!「緑皮柑橘カラマンシー」
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ガンの転移も再発も見事に抑える!
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新発見のココナッツ油ダイエット
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「日経ヘルス」誌 2009年04月号 日経BP社
川原亜矢子さんも実践 肝臓が元気に!
「朝タマゴ」で、疲れ知らず
自分で入れた緑茶を毎日2杯飲むだけでOK
濃い茶「解毒」ダイエット
2009/3/1
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和食の店が増えている。見かけは料亭のような作りの店だが、出し
ている料理はギョウザ、海老フライ、カツドンなんてものだ。
味見をする気にもならない。ガラス越しに店内が見える。
和食レストランで食事ができる階級はタイの上流階級だ。
若いタイの女がカツドンを食べていた。
彼女の食べ方に何か違和感を感じ、彼女の食べ方を見た。
彼女の手には箸ではなくてフォークとスプーンが握られている。
フォークでご飯をスプーンに乗せ、スプーンを口に運ぶ上品な食べ
方をしている。さすがお嬢様という食べ方だ。
お嬢様の食べ方を見ながら、俺は考え込んでしまった。
人間の習慣、常識は簡単に修正できないのだ。
お嬢様はカツドンをフォークとスプーンで食べるのが正しい食べ方
だと思っている。その食べ方はタイ料理の正しい食べ方だが、和食
の食べ方ではない。
ここは和食レストランだ。カツドンは箸で食べるものだ。
カツドンなんて料理は丼を手で持って、丼の縁に口をつけて、箸で
飯を口に押し込むのが日本人の食べ方だ。
これは上品な食べ方ではないが、時間がないサラリーマンの昼飯
の食べ方として日本では容認されている。
タイで和食レストランに入り、カツドンを注文した日本人は日本の
習慣通り丼を手に持って食べるだろう。タイ人から見ると何と下品な
食べ方と映る。
2009/2/18
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今のタイは寿司ブームだ。あちこちでタイ風の寿司を売っている。
あるデパートで見たすし屋の風景だ。
握り寿司のつもりだろうか?タイ文字を読むと「ニネイスシ」と読め
る。「ニギリズシ」が訛って「ニネイスシ」になったのだとわかる。
タイ文字をローマ字にした。しかもそのローマ字をタイ人から見て
漢字か、ひらがな風に書いた。
タイ語の知識がない日本人にはこのローマ字は読めない。
「い」に相当するローマ字を「I」ではなくて「J」にしてあるからだ。
タイ人は「J」「G」を「I」或は「Y」のように発音する。
だから「NJ]でタイ人には「ニ」と読める。
タイ人にとってこのローマ字表記は正しいのだ。
「N」と「J」と子音が二つ続くとどう発音したらいいのかわからない
よね。
この握り寿司は一個10バーツだ。タイラーメンなどと比較すると
高価だ。それでもブームだから売れている。
好きな握り寿司を選ぶと店員が包装を破ってくれる。
俺は写真を撮るために包装を破らないでそのまま貰った。
たっぷりすぎるほど山葵をくれる。その位、山葵を入れないと
タイ人は満足しない。
この染色した海藻を見てくれ。日本では絶対に売れない。
こうしないとタイでは売れないのだろう。
「お味はいかがですか?」ですって?
そんなこと聞かないでください。日本の味ではないとお答えしましょう。
2009/2/27
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外国に行くとおかしな日本語に出会うことがよくある。
タイの本屋だか、なにかの店に日本語が書かれた本だか子供の
塗り絵があった。
長い間の習慣で日本語があるとすぐにそれを読み取ってしまう。
少女向きの絵の中に「つやごと」とひらがなで書いてある。
字は読めるが「つやごと」の意味がわからない。
「つやごと」ってナンだ?日本語か?
日本語で「つやごと」と書かれたものの上に英語でRomanceと書い
てある。それでやっとわかった。「つやごと」とは「艶事」のことだ。
そんな日本語は現在では使わない。明治時代の英和辞書なら
「艶事」と訳されていたかもしれない。
この絵と色使いから初恋のような淡い恋を連想させるのに、
「つやごと」と言うと色恋沙汰とか不義・不倫を連想させる。
「つやごと」は人を慕うといった心より、肉体関係に重きをおいて
いる言葉じゃないかな。どこから「つやごと」なんて言葉をもって
きたのだろう。
「つやごと」の上に「じょう」があった。それはPassionの訳語だ。
これはまあいいでしょう。
「じょう」の上に「あいする」とあった。それはLoveの訳だ。
今まで名詞だったのに、ここだけ動詞になるのはちょっと変だ。
タイの子供にとって日本語は飾りみたいなものだから深く考える
必要はないよね。
2009/2/27
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旅先で困るのはトイレだ。日本は公衆便所があちこちにあるから
いい。それがタイに行くと公衆便所が少ないと思っていた。
日本より少ないがトイレと書かれた看板はあちこちにある。
我々の常識、トイレのイメージとは違うからわからないだけだ。
トイレがあってもたいてい表示はタイ語だ。これじゃ日本人には
わからない。タイ文字は読めなくとも、こんな所にこんな文字が
あったらトイレだと思えばいい。但し、2-3バーツだけど有料だよ。
お金を払わないで入ろうとすると怒られるよ。
町を歩くと、あちこちにトイレの看板があるけど、日本人には
なかなか難しいよね。
観光客が来る場所ではタイ文字の他に英語もある。
中国語で「水房」と書かれた場所もあったな。
参考までにトイレと書かれた看板を集めてきた。
トイレのことをタイ語では「ホングナム」とか「ホングスカー」と言って
いる。用を足すとスカーっとするから「ホングスカー」の方が覚えや
すいかな?
これだけ大きい看板があるけど、タイ文字が読めなければ無理
だよね。トイレがある場所ってこんな雰囲気だ。雰囲気を覚えれ
ばトイレを見つけることができる。このトイレは用便の他に水浴び
もできる。日本で言えば有料トイレと銭湯みたいなものかな?
これは田舎の典型的なトイレだ。ちゃんと3バーツと大書きしてある。
その中はこんな具合だ。トイレの使い方はわかっているよね。
トイレットペーパーやティシュウを流してはダメだよ。
ポリタンクの水は間違っても飲むなよ。
この水はお尻を洗うためにある。
これもトイレの看板だけど、タイ語が読めないとちょっと無理だね。
こんな感じでトイレの表示があると覚えておいてくれ。
この看板は小さすぎる。
それに目立たない場所にある。
こんな所にトイレがあるなんて気づかなかった。
市場の中のトイレの看板だ。これもタイ文字が読めないと無理だ。
文字の特徴を覚えればなんとかなるかも。
ある外人は「品川駅」を「三っつの箱と三本の棒」と覚えていた。
そんな覚え方でいいんだ。
観光客が来る場所だから英語の表示があった。
ここは素っ気なくスカーとしか書いていない。
こっちはホングスカーと書いてある。
ここもホングスカーとなっているな。
ここも観光客がくるから英語とホングスカーと書いてある。
トイレの入口。どっちが男でどっちが女かすぐに分かる。
こんなタイ衣装の表示は珍しい。
これもトイレ。
2009/2/27
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1 急げ!
緊急自動車のけたたましいサイレンがなった。見ると民間の救急車
が二台 先を争うように路地から出てきた。
民間の救急車の評判はよくない。交通事故などでは最初に駆けつ
けた会社が処理権を持つ。時には遺体の奪い合いで救急車どうし
で喧嘩になるという話もある。
「どうせいつもの交通事故だろう。」気にもしなかった。
しかし町の様子が変だ。高い所にいる人が地上の人に
「あっちだ!」と指をさしている。俺は指をさすほうを見た。
黒い煙があがっている。普通の量ではない。
「よおし、火事場に行くぞ!」
野次馬根性がむくむく持ち上がってきた。近くで火事や事故がある
と、日本でも野次馬に駆けつける俺だ。タイでも野次馬をやる。
罹災者にはお気の毒だが、よほど運が良くなければタイの火事場
なんて見たくても見ることはできない。この機会を逃がしてはいけ
ない。他の予定を無視しても火事場をみなくていけない。
火事場は近いぞ!急げ!俺は日本の町の感覚で煙の位置を
推定していた。あのビルの近くだ。
急いだが目的のビルになかなか近づかない。こんな時に限って、
トクトクもサムローもいない。汗を拭きながら歩くしかない。
目標のビルに来たら、煙はそのビルのはるか後ろからでていた。
早くしないと火事は消えちゃうじゃないか!今までの黒い煙が白く
なり始めた。
急げぇー!煙を目指してめちゃくちゃに歩いた。
最初のうちは自分の位置を確認しながら歩いていた。
もう自分が何処にいるのか分からない。
外国の町で迷子になると、うろたえる。
今はうろたえているヒマはない。
火事場に急がなくてはいけない。見覚えのある街角に来た。
「えっ?!こんな所に来たのか?」そんな思いにふけるより、
早いとこ火事場に行かなくてはいけない。この辺に来ると野次馬
らしい雰囲気の人が一定の方向に向かっている。
日本の野次馬がもつ雰囲気と同じだから、彼等が俺と同じ野次馬
だとすぐにわかった。こっちの方から進むと早いだろうと小さな
路地に入った。おばさんが立ち話をしている。
「アンタ、火事場にいくんでしょ!あっちよ。」
おばさんは俺が野次馬だと見抜いていた。俺は苦笑いする。
「この道は行き止まりだよ」別のおばさんも声をだした。
言われたように道を進むと火事場らしい臭いがする。
道路は既に封鎖されている。手薄な警官の隙を盗んで封鎖線を
突破した。一緒に突破したタイの野次馬と臭いの強い方向に歩く。
道路には消防の水が流れ始めている。第二次封鎖線まで来たが
ここは厳しい警戒で突破できそうもない。
そこから様子を探った。
狭い路地の奥で火事が起きたのだが全体の様子が見えない。
火事場の隣は寺だ。寺の坊さんまで野次馬をやっている。
小坊主は鐘楼のような高い場所に上ってみている。あそこなら、
よく見えるだろうな!小坊主が羨ましかった。
時々、プラスチックが燃える臭いがする。
これが民間の救急隊員だ。ヘルメットもせずガーゼのマスクをする
だけだ。耐火服を着ていないから火と煙を潜って中に居る人を救出
することはできない。燃える家の中から救出された怪我人を病院に
搬送するしかできない。搬送すると言っても、この狭い路地だ。
いくらサイレンを鳴らしてもゆっくり移動するしかない。
救急隊員は集まって話をしている。仕事の打ち合わせなのか?
笑いこけたりしている。業務上の話をしているように見えない。
2 翌朝
翌日、火事場を改めて見にいくことにした。寺の庭を抜けて火事場
に行こうか?それとも路地を抜けて行こうか?
路地を抜けて行くことにした。この町は100から200メートル四方が
町の一ブロックだ。そのブロックの中に路地がひしめいている。
路地に入ると、迷路のようになっており、地元の人しか出口が分か
らなくなる。カスバやメディナの雰囲気に似ている。
入り込んだら出られなくなる。こっちが近道だと思って路地の曲が
り角を曲がろうとした。角の店の女が
「行き止まりだよ。こっちから行きな。」と声を掛けてくれた。
言われた道を進むと右に左に曲がりくねる道が続いている。
この路地から大通りに抜けられるのだろうか? 道は一本しかない しかも家が密集している。何処かから出火すればたちまち延焼する。
からこのまま歩き続けるしかない。丁の字に出た。突き当たりは
長い塀だ。動物的カンで塀に沿って歩くと昨日の火事場に来た。
このような路地にある家は古材で出来ている。
こんな狭い場所だ。消防車が何台駆けつけたのか分からない。
消防車が入れるのかどうかすら分からない。曲がりくねった路地に
は絶対に消防車は入れない。昨晩見た水の量から判断しても放水
量は少ないと思う。
これは俺の推定だが、こんな場所に駆けつけたタイの消防は焼け
ている家は焼けるままにしておいて延焼を防ぐことに専念する
江戸火消しと同じ方法をとるのではないか?
そんな消火方法しかとれないだろう。
椰子やパパイヤなど何本もの木が植わっている庭で火事は止まっ
た。植木の葉は燃えて枯れている。植木が延焼を防いでいた。
防火の役割を植木が果たしているのを見た。
3 燃えない物
大火だから全てが燃えてしまうだろうと思うが、燃え残る物もある。
美容院のような家がある。大きな鏡が美容院らしさを思わせる。
その家に白いプラスチックの椅子がある。プラスチックの椅子は
溶けもせず元の形を留めている。
ソーセイジを売っていた店も焼けた。何段かに重ねられたソーセ
イジの中に殆ど焦げていないソーセイジがあった。
よく大火の中で奇跡的に助かる人がいる。命拾いした人はこの焼
けなかったソーセイジのように、偶然が偶然を呼び其処だけ熱風や
火炎がこなったのだろう。
色の付いた食材をいれたガラスだかプラスチックの瓶が熱で溶けて
いるのが哀れだ。
4 現場検証
警察による現場検証が行われていた。
犯罪科学警察と書かれたジャンバーを着た警官が盛んにデジカメ
で撮影している。別の警官は事情聴取をしている。
6軒ほどが焼けた大火なのに、捜査員が少ないのに驚いた。
町には何をやっているのかわからない警官が沢山いる。
その警官を捜査に回せばいいのにと外国人は思う。
5 階段から二階に
燃え方を見ると火は階段を駆け上り二階から屋根に燃え移った。
タイの家で火事に遭遇したら一刻も早く階下に逃げなくてはいけ
ない。足を骨折するかもしれないが、二階から飛び降りれば命は
助かる。火の回りはかなり速い。躊躇する暇はない。
命が助かる手段を瞬時に判断しなくてはいけない。物にこだわる
と命を失う。
「俺はスプリンクラーのついたホテルに泊まっているから大丈夫だよ」
なんて安心してはいけない。リッツ、ヒルトンなど世界的チェーンの
ホテルなら大丈夫かもしれないと俺は疑問形で言っておく。
多くのホテルはスプリンクラーがあっても点検などやっておらず、
作動しないと思った方がいい。
二流以下のホテルでは自分で自分の命を守らなくていけない覚悟
が必要だ。非常口も施錠されており、逃げ出せなくて多くの犠牲者
をだした例がある。
6 消防車出動
翌日また火事があった。町の人が「火事がどうのこうの」と話して
いた。昨日の火事のことかと思ったら、別の方向を指差している。
通りすがりに耳にした会話だし、俺のタイ語の理解力がないから
誤解している可能性がある。気にしないまま広い通りに出ると
遠くで黒い煙が上がっているのが見えた。先ほどの火事の話は
このことだったのだ。今日の火事はかなり遠くだ。
野次馬はやらない。俺が煙を発見してから既に7-8分が過ぎて
いる。その頃になって消防車のサイレンが聞こえた。
町の人が火事の話をしてから10分も経って消防の出動だ。
出動が遅すぎる!既に別の消防が火事場に駆けつけ消火を
行っているが手に負えず、援護を要請した?
この消防車は援護に駆けつけるのかもしれない。
それにしてもタイの消防車は粗末な設備だ。乗っている隊員も笑って
おり、緊張感が見られない。
乾季だからもう何日も雨が降らない。空気も草も乾燥している。
ちょっと火がつけば大きな火事になる。町をはずれ郊外にでると
道路脇が焦げている。あちこちで山火事が発生している。
自然発火なのか?多くは運転手が投げ捨てる煙草が原因と思わ
れる。煙草を車の灰皿に捨てるというほんのちょっとした手間を
惜しんで大きな物を失っている。
20キロほど走っただけで既に鎮火したもの、炎上中のものを含め
て何十箇所も山火事を見た。
山火事は国民的財産の損失と誰も考えない。
8 火の取扱
多くのタイ人はちょっとした手間をかけることを嫌う。
それが日常生活から工業製品にまで至っている。
俺が観察した範囲の火の取扱だ。ガスがあるのだが炭火で煮炊
きすることが多い。
炭に火をつけるにはローソクかプラスチックを使う。
ローソクに火をつけて蝋を炭の上にたらす。あるいはポリ袋のよう
なプラスチックに火をつけて溶けたプラスチックを炭の上に垂らす。
どちらも長時間高温をだす。それを放置しておくと自然に炭に火が
つく。炭に着火するまで誰も火の面倒をみない。
「何もしなくとも放って置けば火がつくよ。団扇でバタバタ扇いで火を
おこすなんて面倒だよ」
と考える。調理が終わると炭が燃え尽きるまで放置しておく。
火をつけて消すまで人間が火の面倒をみない。
これでは火事が起こっても不思議はない。
タイの田舎ではこのような取扱でも危険性は低い。
問題は田舎から人口・人家が密集した都会にでてきても田舎で
行っていた習慣を改めないことだ。
日本人はコンロに炭を入れたら団扇で扇いで火を起こす。
調理が終わったならまだ燃えている炭を消壷にいれる。
着火から消火まで人間が火を管理している。
消壷と言っても分からない人が増えた。消壷というのは金属または
陶器の壺でその中にまだ燃えている炭や薪を入れて蓋をする。
燃えている炭はその壺の中で酸欠になり消える。
消壷の中で消えた炭を消し炭といい、次に炭を起こす時に着火材
として使う。
「危険だから、着火するまで見張り、調理を終えたら火を消せ」
と言っても、そのちょっとした手間をかけることをタイ人は嫌がる。
その結果、大きな物を失う。
9 火事にあったなら
乾季のタイでは火災の危険が極めて高い。
雨季でも乾季でもタイで火事に会ったら、とにかく逃げろ!
火の回りは日本の民家より遥かに速い!
消防なんてあてにするな!
酸素マスクをつけた消防隊員が救助に来てくれるなんて考えるな!
それは大富豪を救うために使うものだ?
自分の命は自分で守れ!
物や金を捨てても命を守れ!
焼け跡からこんなものを学んだ。
2009/2/27
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タイは暑い国だから大量の飲料が消費される。
飲料にはストローが付き物だ。
水や飲料を買えば必ずストローがついてくる。
瓶ビールもストローで飲んでいる。
話は飛ぶが、ビールをストローで飲むゲームを昔やったことが
ある。なぜかビールをストローで飲むと酔いが早い。
現在タイで使っているストローはプラスチック製だ。
飲み物によってストローの太さが違う。
ストローで水を飲みながらふと考えた。
日本では昔は麦わらを使って飲料を飲んでいた。
タイではどうなんだろう?
年寄りにその点について質問した。
「今のストローはプラスチックですね」
「ああそうだね」
「昔はプラスチックのストローなんてなかったでしょ?」
「アハハハ・・・。ああ、なかったね」
「昔は何を使っていたんですか?」
「草を刈って飲んでいたよ」
草を刈る真似をしながら言う。
「日本では麦の草を使っていたんですよ。タイでは何を使っていた
のですか?」
「ナムマパーオを使っていたよ」
今度実物を見てみよう。
2009/2/15
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本屋にとって立ち読み客は迷惑だ。
味見してから食べ物を買うように、本の中身を吟味して本を買って
くれれば立ち読みは大歓迎だ。立ち読みで本を読みきってしまう
客は迷惑だ。
はっきり言って日本の本屋は立ち読みを嫌うのではないかな?
それなのに、タイの本屋には椅子がある。
そこに座って本を読める。
日本人には奇妙に思える商習慣だ。
食うに精一杯の多くのタイ人には、本を買い、本を読む人々は
特別な存在だ。本を買う人も本屋もそれを意識している。
本を買うか買わないかは別にして、本屋を訪れる人には特別な
サービスをすべきとタイの本屋は考えて立ち読み用の椅子を
提供しているのだろうか?
います。
彼女等のファッションを見て、綺麗だお洒落だ金持ちだと感じたら
貴方はタイにはまって
日本人の目から見ると不可思議な光景だ。
2009/2/10
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