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2009年9月29日 (火)

美食ってなにか

俺は出されたものは基本的に何でも食う。今は毎日タイ料理を食べ
ているが、子供の頃から日本的な食事を摂っていたので、食の好み
は日本人
的傾向はある。
納豆やイカの塩辛なんて日本的食品は大好きだ。
食の好みは子供の頃に食っていた物に大きく影響される。
昆虫食はタイでは普通のことだが、日本ではゲテモノだ。
そんな物は食い物と思っていないから昆虫を食べるにはちょっと
勇気がいる。これは日本人的食歴が長いから昆虫食を気持ち悪い
と思う。子供の頃から周囲の人々が昆虫を食べているので、タイ人
は昆虫は食べ物だと思っている。

何でも食うと言ったものの、俺にも食べ物の好き嫌いはある。
例えば煮魚は余り好まない。あの魚独特な生臭いにおいが嫌いだ。
どうしても食いたくない物もある。
海老を醗酵させたタイの調味料ガピはあのにおいがダメだ。
「それじゃガピは絶対に受け入れないのか?」と思うが、そうでもな
い。食の好みは複雑だから面白い。

こんな経験をタイでした。小さな茶色の粒々がある飯を出された。
見た目は紫蘇の葉のふりかけ「ゆかり」をまぶした感じだ。
なんだか特有なにおいがあるが、美味い飯だった。
「この美味い飯はなんだ?」と聞いたら、飯を炒めて俺が嫌いなガピ
で味付けしたものだと言う。あんなくさいガピを美味いと思って食え
ることを知り驚いたことがある。

味って時間や場所でも変化する。
ある時、美味いと思ったラーメンを求めて再びその店に行くと
「なんでこの味を美味いと思ったのだ
?」と不思議に思うことがある。
これに似た経験は誰でも持っている。

作家吉村昭の本をふと手にして読んでいくと味に関する随筆が
あった。「基本的に食物の味は、絶対というものがない。個人差が
あり、多分にその人の親しんだ味が基準になっている。」と書いて
あった。
そうなんだよな。美食家という奴が美味いと推奨するものを食っても
感激の味に出会うことが少ない

美食家が美味いと思ったものを、言葉巧みに他人に押し付けている
からこんなことになる。また美食家のお言葉を有りがたがって信奉
する輩がいるからいけない。美食家が比内鶏が美味いと言った。
卵を産まなくなった廃鶏を比内鶏と偽って金儲けした業者がいた

比内鶏と言われただけで廃鶏を「美味い、美味い」と食っていた
連中がいたんだよね。
不正表示をする業者は悪人だが、廃鶏と比内鶏の区別がつかない
消費者も愚かだ。味はブランドで決まるもんじゃない。
美味いとか不味いとか決めるのは個人なんだ。
美食家と称される奴の話は「ありゃアイツの好みだよ」程度に思え
ば良い。

味の好みは習慣にもよる。アメリカ占領下にあった沖縄ではアメリカ
風のマヨネーズしか手に入らな
かった。沖縄ではマヨネーズと言え
ばアメリカ風の味付けのものだ。沖縄県育ちの人は、
「本土のマヨネーズは酢が強すぎて、とても使えない」と、ロをそろえ
て言うと
吉村は書いている。
俺はアメリカ風のマヨネーズは迫力がなくて物足りない。

「人間誰しも出された料理が不味いと思うことがある。そんな時は
黙っている。美味いと思ったなら素直に美味いと言えば良い。」と
吉村は書いている。
そうだよな。俺が不味いと思ってもそれを作ってくれた人には美味し
い味なんだし、俺のために一生
懸命に作ってくれたんだ。
それを一言で不味いと言ってはいけないと俺も思う。

タイの田舎での経験だ。二日酔いの朝だったかな?
俺はカオツムなら食べると言った。
女が「あたしが作ってあげる」と言ってカオツムを作ってくれた。
冷や飯にお湯をかけて塩を入れただけみたいで、実に不味かった。
でもそれを全部食べた。もしあの時、「不味い」と言ったなら彼女は
もう俺のために絶対に料理を作ってくれない。

吉村の月給が手取り4万円程度の時の話だ。あるフランス料理店
でフルコースで食事をすると一人二
万円かかった。
有名な女料理研究家が家族三人で月に何度かその店に食事に行く
と自慢していた。彼
女の家族の一回分の食事代が八万円だ。
吉村の給料の二か月分に相当する。
それを誇らしげに述べる彼女に吉村は不快感を示していた。

ハンバーグが一人前500円程度の時代だった。ある美食家が美味
いハンバーグの店を紹介していた。吉村の友人がその店に行った
ら、一人前5千円取られたと驚いていた。
そんな話を吉村は書いていた。
5千円のハンバーグは500円のハンバーグより10倍美味しいのか?
その10倍の値段の差を味の上で違いを見つけることが出来ただろ
うか俺は疑問だ。
味の違いを見つけて、その差を金銭的価値に換算して10倍に
なるか?そんなことを考える人は500円のハンバーグを食っていれ
ば良いと5千円のハンバーグを売る店は言う
だろうな。

吉村はうまいと思うと嬉しくなって笑い出すそうだ。
俺は美味いと思うと、もう夢中で食ってしまう。
話もしないし酒も飲まない。ひたすら食う。
テレビのグルメ番組の出演者のように、首を後ろに倒して「うまい」
なんて言わない。美味い物に接した時は、もっと食いたいと思うから
俺の首は自然に前に垂れる。

吉村の観察によると、「美食家は決して笑わない。ベートーベンの
ような深刻な顔をして味わってい
る。また、そのような人は、うまい
物なら金銭など惜しまず食べる。むろん代金の高さなど誇るよう

ことはなく、無視している。」そうだ。
旨い物を食うのは楽しくて、嬉しくて快適なんだ。喜ばなくてはいけ
ない。苦虫を噛み潰したような顔をしながら食っても美味しくないと
思う。

吉村は「全く味などというものは人それぞれであり、環境、時間に
よってどうとも感じられる不確か
なものらしい。」と述べている。
俺もそう思う。同じ物を食ってもいつも美味いと感じるとは限らない。
食事は楽しむことが大切なんだ。
他人が美味いと言ったとしても、美味いと感じないことも多々ある。

美味と値段は正比例しない。時と場所によって味の感じ方は変わる。
食歴によっても味の好みは異なる。
自分が美味いと思ったものを「美味い」と主張することが大切だ。
グルメと称する人がテレビや雑誌で美味いと言ったものを食って
本当に美味いと思ったことあるか?近所の朝日食堂のハンバーグ
と高級フランス料理店マキシムドマルセイユなんて店のハンバーグ
に差
を見出せるか?

俺はグルメとか美食家を批判するようなことを書いている。
だが本当に味に敏感な人がいることを俺は知っている。
そんな人は細かな味の違い、香りの違いを見分けることができる。
美食家が美味いと言った物が美味い料理ではない。
俺が美味いと思った料理が俺にとって美味い料理なんだ。
誰がなんと言おうとも、俺が美味いと思った料理をのびのびと楽しく
食べることが一番大切だ。

美味いと定評があった店で、前の客が手をつけなかった料理を次の
客にだして倒産した店があったな
。今日も有名店の料理で食中毒を
起こしたニュースがのっている。
どんなに旨い物でも他人の食べ残しを食べるのは気分が悪い。
まして食中毒を起こすような店で食事をしたくない。

2009/9/29

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