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2010年1月 1日 (金)

サダムのお節

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ウチの可愛い飼い猫サダムちゃんにもお正月の料理をださなくては
いけない。なにを上げたら良いのか分からない。
寿と書いた鳴門巻があった。鳴門巻というのは鳴門の渦のような赤
い模様がでるから鳴門巻というのだ。寿という文字を描いて鳴門巻
というのは偽称だ!
金太郎飴のように何処を切っても寿と言う文字がでてくる。
食品の世界でもいろいろな技術革新があるのだと感心した。
鳴門巻は魚でできているからサダムちゃんも食べるだろう。
カニボコと鰹節とお目出度い文字が書いてある鳴門巻をサダム
ちゃんのお節にした。

2010/1/1

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コハダの粟漬とタイ人

コハダの粟漬をヌチャナートは見つけてきた。
俺達にとって黄色い粒のなかに銀色に輝くコハダを見ると
「ああ、正月がきたんだ」と正月を思わせる品だ。
ヌチャナートはこれを単なる魚の酢漬と思っている。確かに酢漬けに
間違いはないのだが、コハダの粟漬は特別な物、正月だけのものと
は感じていない。ヌチャナートは買ってきたコハダの粟漬をすぐに食
べようとするが、
「これは正月料理だから新年に食べるのだ」
とお預けにしておいた。
これは正月の特別な料理ということがわかっていない証拠だ。

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元日にコハダの粟漬を食べた。
ヌチャナートは粟を魚の卵だと思っていたらしい。
「あら、これは穀物ね。魚の卵だと思っていたわ」
そういえば、粟は数の子とか魚の卵に似ている。
魚の卵と思って粟を食ったなら不味い。
ヌチャナートにはカルチャーショックだったことだろう。

2010/1/1

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お餅

明日は正月だな。毎日がタイ料理だから、正月もタイ料理で過ごすこ
とになりそうだ。俺はそれでもいいと思っていたのだが、正月らしい
雰囲気もだしたい気持ちになった。お屠蘇は作ったから正月の準備
もできたと思った。正月の祝い膳に並ぶお節料理はいらない。
雑煮があればそれでいい。

元日には雑煮を作ろう。雑煮と言っても俺が知っている雑煮は東京
風のものだ。澄まし汁に餅を入れ蒲鉾と三つ葉を浮かべる簡単な
ものだ。正月の品といっても雑煮に必要な品は全部揃っていると
思った。

大晦日の夕方になった。その時、まだ餅を買っていないのを思い出
した。餅なしの雑煮なんてありえない。餅を買いに行った。

もち米を主食にしているタイ東北部出身のヌチャナートだが、タイ人
は餅を知らない。餅の事をタイ語でカノムカオニョウと言っている。
直訳すると菓子餅米となる。餅は餅米の加工品だが、菓子と言わ
れると違和感がある。タイ語の感覚では餅はもち米で作ったお菓子
に見える。しかし俺達の感覚では菓子は甘い物だ。
俺には餅をカノムカオニョウというのは抵抗がある。

雑煮を作って正月を祝った。
「スープがおいしいわ」市販の出汁に手を加えてつくった汁だ。
餅を焦がさないように焼くのに気を使うだけで、東京風の雑煮は簡単
にできる。

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「お餅はタイにはないのよ。」
毎日もち米を食っているのに、それを餅にしないことが俺には不思
議というより驚異だ。何故、タイ人は餅を作らないのか??
ヌチャナートは日本に来て餅つきの経験があるから、どうやって餅を
作るのか知っている。そんなことを考えているとヌチャナートが話を
続けた。
「ソムタムの臼でお餅を作ればいいわね」
やってやれないこともないだろうが、あんな臼で餅を作るのは困難
だと思う。つきあげたほかほかの餅をソムタムと一緒に食べたなら
美味しいと思う。タイ人には驚きの味だろう。

2010/1/1

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年越し蕎麦

俺は年越し蕎麦なんてことを忘れていた。ヌチャナートが
「お蕎麦がいるでしょ?」と言ったので年越し蕎麦を思い出した。
身欠鰊があった。身欠鰊を年越し蕎麦に入れてニシン蕎麦にした。

俺は蕎麦が好きだ。魚を余り好まない俺だが、甘辛く煮た身欠鰊は
好きだ。蕎麦の上に身欠鰊がのったニシン蕎麦を初めて食った時、
「これはうまい」と思った。
年末年始の伝統料理は俺が作ることになってしまった。
そうさせられている。年越し蕎麦も俺が作る。
身欠鰊を甘辛く煮付けて年越し蕎麦にのせた。
俺には上出来の味だった。
魚が好きなヌチャナートなのに甘辛く煮付けたニシンは一口齧った
だけだった。

俺もタイで似たような経験をしているから、俺はヌチャナートの気持
ちがわかる。事務所の近くに昼飯やら日用雑貨、衣料品などの屋台
が並ぶ。ある屋台で美味そうなものを見つけて入った。
そうしたら、飯にのった肉が甘辛い。
塩辛い味であるはずだと思っていたから甘辛い味は期待値の外側
にある。これは不味い!もう食うまいと思っていたのに、その味を
忘れて、見かけに釣られてまた注文してしまった。

その時、俺は思った。
日本人が美味いと言いながら食べる鰻の蒲焼は甘辛い味だ。
甘辛い味というのは受け入れられるようで受け入れられない味だ。
鰻を焼いているにおいを嗅いだだけで日本人はよだれをだす。
しかしタイ人を含めた外人には鰻の蒲焼は美味しい味ではないの
ではないか?

2009/12/31

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2009年12月31日 (木)

現地料理に現地酒

俺ん家は毎日がタイ料理で飯を食いながら酒を飲む。
酒はウイスキー、ビール、焼酎、日本酒とその時々、その場にある
ものを飲んでいる。

現地の料理に現地の酒が一番美味しいというのが定説だ。
タイの料理屋でタイ人が飯を食いながら飲んでいるものはビールが
一番多い。ビールはタイの酒ではないが、暑い中で辛い料理を食い
ながら飲むには冷たいビールが美味い。
現地料理に現地酒の定説から外れるが、この組合せはいい。
この組合せの良さはタイ人も認めており、何の疑問も感じていない。

料理を食いながらタイの焼酎ラオを飲んでいる連中がいる。
これは現地料理に現地酒の定説に当てはまる。
ホワイトカラーのタイ人はラオなんて労働者が飲む酒だから馬鹿に
して飲まない。焼酎を飲みつけている俺にはタイ料理とラオの組み
合わせもいいと思う。俺がラオを飲んでいると、
「何でラオなんて飲んでいるの?」とタイ人は怪訝な顔をする。
「これはここでしか飲めない酒だからだよ」と答えると一応は納得し
たような顔をするが、なんだかふ
に落ちないようだ。
日本人だって昔はホワイトカラーは焼酎を飲まなかった。
今は女まで焼酎を飲む。
ヌチャナートは焼酎とラオが同じ味なので焼酎を好まない。

タイでも良いワインが出来るようになったので、ワインとタイ料理の
組合せ云々が言われている。タイ国産のワインと言えどもワインは
外来の酒だから、ワインとタイ料理の組み合わせは現地料理に
地酒の定説から外れる。ワインとタイ料理の組合せをタイ人が
云々するのなら俺は納得する。タイ料理に合う美味しいワインは
これこれなんて言っている日本人ソムリエの話を俺は信じられない。
あのソムリエは本当に激辛のタイ料理を腹一杯食っているのだろうか?
激辛のと言っても日本人から見て激辛のタイ料理だ。
タイ人から見れば子供の料理だ。それをタイ料理に慣れていない
日本人が半人前食ったら、激辛料理で舌が痺れてワインの味なん
てわか
りっこない。それに不慣れの香草の香りが強くワインの香り
がわからなくなる。飯を美味しく食うため
に飲むのが酒だ。
美味い酒があるから飯が美味くなる。飯が辛くて辛くて食えなかった
なら、ワインが云々なんて言えないと思う。

ワインに和食なんて組み合わせも30年ほど前から宣伝されるように
なった。これはワインの消費を増やそうとする醸造メーカーの策略
だった。宣伝に踊らされてワインは和食に合うと言うようになり、
ワインの消費が伸びた。
「何処そこで水揚げされた大トロには、このワインが合う」
なんて言う評論家だかソムリエがいる。30年以上前に同じことを
ソムリエが言ったなら、馬鹿にされ相手にされなかった。

メコンと言うブランドのタイの酒があるが、俺の好みに合わない。
現地料理に現地酒の定説からすると、メコンとタイ料理は相性が
いいはずだ。だが、俺はこの酒を飲みながら飯を食う気になれない。
それにも関わらずメコンは売れているからタイ人の好みにあってい
るのだろう。

こう見てくると現地料理に現地酒の定説は正しくない。
個人の好みの問題は別にして、酒ならどんなものでも、どんな料理
にも合う。そして酒と料理の相性は時代と共に変化する。

一昔前には焼酎と刺身なんて組み合わせは考えられなかったが、
今では普通だ。タイ料理とラオの組合せをタイ人は異様に思って
いるが、時代が変わればこれはよい組合せだとなる。
ワインと和食、ワインとタイ料理の組合せも今は相性がいいとなって
いる。ビールとタイ料理の組合せならタイ人でなくても大喜びする。
要するにどんな酒でも酒ならどんな料理とも合うのだ。
それが時代によって酒と料理の組合せの好みに変化が起きるだけ
の話だ。

2009/12/24

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蛤の炒め物

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蛤があった。蛤と表示されているが、これは輸入物だろう。
江戸前で取れる蛤と貝殻が違う。江戸前の蛤は貝殻がつるつるし
ているが、この蛤の貝殻はざらついている。蛤の模様も江戸前の
ものとはちがう。しかし江戸前の蛤に似ている。
そんな蛤をヌチャナートは求めた。多分、あの料理を作るのだろうと想像した。

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思っていたとおり蛤を炒めだした。この料理をパッカパオホイと呼ん
でいた。こんな味と香りの貝料理は日本にはない。
辛味と香りの料理だ。いかにもタイ料理という感じがする。
日本のあっさりした蛤のお吸い物も上品で良い料理だと思う。
タイのパッカパオホイを食べると、蛤がこんな味になるのかと驚く。

2009/12/30

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こんぺい糖は戦闘食

赤とか青に着色されたこんぺい糖を当たり前のように俺達は食べて
いる。こんぺい糖を着色するのは軍事的必要性で産まれたものだと
は知らなかった。

日本人は白米が最高の食い物であると信じていた。
しかし、長期航海などで白米だけを食べていると脚気になり戦闘能
力が低下する。脚気を防ぐため、米以外の食べ物を研究する必要
があった。戦争が外地で行われ、長期化し、しかも糧食の補給が困
難と言う状態を想定しなくてはいけない必要性
がでてきた。
各兵員に戦闘食を携行させればいいじゃないかと考えるが、これは
簡単なようで困難な課
題だ。

最初に考えられた戦闘食は昔から武士が用いた飯を乾燥させた
糒(ほしいい)だった。糒を食べるには水が必要だ。
戦争が中国大陸から樺太・千島、東南アジアまでを想定しなくては
いけない
時代になる。砂漠地帯、氷雪地帯、熱帯雨林地帯では安
全な水を得ることが困難になるから、糒は戦闘
食に適していないこ
とがわかった。

欧米の戦闘食を研究した結果、乾パンを戦闘食にした。
戦闘食はカロリーが高く、軽量で、長期保存が可能であり、かつ連続
して食っても食い飽きない要件を
満たさなくてはいけない。
バターのような脂肪を加えれば美味でカロリーが高くなるが保存性
に問題がでる。糖分を加えれば美味くなるが、直ぐに食い飽きるの
で長期間同じ物を食うことが不可能だ。薄味にすれば長期間同じ
物を食うことができるがカロリーが不足する。
カロリーの不足を補うためにこんぺい糖を乾パンと一緒に付けた。

乾パンとこんぺい糖の組合せで長期間食い飽きないかという実験を
冬季の蒙古で行った。周囲が雪と氷で零下40度の厳寒の中で乾パ
ンとこんぺい糖を食べる実験をした。真っ白な環境の中で白いこん
ぺい糖を見ると余計に寒く感じて不評だった。
翌年はこんぺい糖に色をつけた。
雪と氷の環境の中で赤や青いこんぺい糖は宝石のように輝いてみ
えて大好評だった。それ以来、こんぺい糖に色をつけるようになった。
こんぺい糖の色は戦闘を維持するためにつけられたものだった。

2009/12/30

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2009年12月29日 (火)

パッカパオガイ

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これさえ食わせておけば俺が文句を言わないのを知っているから、
ヌチャナートはパッカパオガイを作った。肉も美味いが、この汁と飯
を混ぜて食べるともっと美味い。
最近、でかい皿を取り出しやすい場所に移したので、でかい皿を使う
ことが多くなった。でかい皿だとこのようなぶっかけ飯スタイルにする。

調理に使ったホーラパーの茎が残っている。これを土に刺しておくと
根付いて新しい葉が出てくる。それをまた料理に使う。
「これを植えておこうか?」
「そうね、でも寒いから無理だと思うわ」
俺も多分、無理だと思うが、運がよければ根がつく。
どうなるかなと見るのも楽しみだ。

2009/12/28

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欧風ビーフシチュウ

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今日は珍しいことに欧風のビーフシチュウだ。
これはヌチャナートが作ったものではない。頂き物だ。
味見をすると缶詰かレトルト製品の加熱臭がある。
ヌチャナートは味見をして、味が何か変だと感じたようだが、何が
どう変なのか分からない。
日本の醤油を加えて味を調えようとして、俺の顔を見る。
俺は「うーん?」と考え込んでいる。
「あたし、わかんないわ。やってよ。」
頂き物のタイ料理ならヌチャナートは自分で味を調整するが、食べた
ことがない欧風料理だと味付け方
法がわからないようだ。
俺は月桂樹や粒胡椒、ワインを加えて加熱臭を抑えることにした。
しばらく煮込んでいると、味がまろやかになった。
「あら、さっきよりいい味になっているわ」
こうして飯を食い始めた。こんな味って久し振りだ。最初のうちは
何の疑問もなく食べていた。
いつも辛い物を食べているので、辛味のない料理は物足りない。
唐辛子の辛い刺激がないと食欲がでない。唐辛子ソースを加え
た。欧風の味をぶっ壊して食べている。タイ料理ばかりを食べて
いると、欧風の味にも唐辛子味を求めてしまう。
和食は子供の頃から長い間食べているので、唐辛子がなくても
食べることができるのだがなぁー。

2009/12/29

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神様へのお供え

Kamidana

年末の折込広告を見ていたら正月用品の売出しがでていた。
島忠ホームセンターの広告の中に、神棚の飾り方の説明があった。
お神酒や水をお供えする時は容器の蓋をとると書いてあった。
ああなるほどね。神様は自分で蓋をあけて飲まない????
蓋をしておけば、お供えしたお神酒をさげてきて飲めるじゃないか?
なんて俺は考えるが蓋をとるのが習慣だ。

タイには至る所に神棚がある。街角、ホテル・スーパー、大きなビル
の前、個人の家の前などあちこちに神棚がある。神棚には飲み物
が供えられている。
ジュースなどの瓶がそのまま供えられていることもある。
お供えされたジュース瓶の蓋は開けられているだけでなくストロー
までさしてあることもある。

日本人もタイ人も神様に飲み物をお供えする時は飲み物の蓋を
あけるという共通点がある。
こんな小さなことでも日本とタイで同じ点、違う点を見つけると嬉しくなる。

2009/2/28

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2009年12月28日 (月)

調理と環境問題

昔、アメリカで出版されたペーパーバックの中華料理の本を思い出
した。中華料理に使う素材の色々な切り方を説明する中で素材を
小さく、薄くすれば早く調理できると書いて
あるのに驚いた。
これを読んで俺はちょっとショックを受けた。
その当時はまだエネルギー問題などなかった。
金さえ出せばアラブは幾らでも石油を掘り出すよと強気だった時代
だ。環境や地球温暖化問題を騒ぐのは一部の人で多くの人は環境
なんて言葉を話題にしなかった。

現代から見ると早く調理するというのはエネルギーの節約であり、
素晴らしい着眼だ。その中国人の著者はエネルギーの節約云々で
はなくて、小さく切る、薄く切れば早く料理ができますよという知恵
を伝授しただけかもしれない。
この話を何十年前に中国人料理研究家何某はエネルギーの節約
に着目し、小さく薄く切ることを提唱し
ていたなんて美談風に書くこ
ともできる。

できるだけエネルギーを使わずに調理する方法を述べる料理家は
いるかな?朝、大鍋で加熱して、その鍋を保温しておくことで昼に
はシチュウができあがっているのでそのまま食
べるなんて調理法
は考えられる。ウチのタイ料理でもエネルギーの節約方法を考え
よう。

和食には刺身、漬物、酢の物とエネルギーを使わない料理が多
いな。ラープ、クンナンプラなどエネルギーを使わないタイ料理も
ある。しかしタイで食うタイ料理の場合、熱をかけないと寄生虫に
感染する危険があるから困るな。

2009/12/28

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2009年12月27日 (日)

言葉と味の関係

俺はこのブログの中で味を表現するのにカタカナ英語を使う危険性
をたびたび指摘している。例えば、テレビのグルメ番組のなかでは
スパイシー、マイルド、ジューシーなんて言葉がよく使われる。
それを見た視聴者は意味がわからず、インターネットで言葉の意味
を探っている。

言葉と味の関係はその言語を話す環境の料理・食品と大きく関わっ
ている。日本人には日本人にしか分からない味の感覚がある。
その味の感覚を伝えるには日本語が一番ぴったりしており、他の
言語に取り替えることができない。

英語国民が感じるスパイシーな感じはどういうものなのか、英語国
民の料理を食いつけていない日本人には正確にわからない。
味は風土、気候にも左右される。パンとバターの生活を長年続けて
いるうちに出来上がったスパイシーという感覚を日本人が一朝一夕
に得られる物ではない。

以前にも書いたが、俺はスパイシーという言葉でタイでこんな失敗を
した。初めて訪れるタイ北部の小さな町だった。周囲はタイ文字だけ
で、ローマ字が書いてあるのはSONY, HONDAという看板だけだ。
タイ語が分からず一人で旅するのは心細い。食事に入った店に英語
を話すウエイトレスがいた。英語であっても言葉が通じるというのは
救いであり嬉しいものだ。ウエイトレスは俺に
「お料理はスパイシーにしますか?」と聞いた。
俺は英語で話をしていたので、欧米人が考えるスパイシーな香味
を想像して、
「はい、スパイシーにしてください」
と答えた。出された料理は飛び切り辛かった。

タイ料理にはいろいろな香辛料や香草が使われる。香辛料の中でも
唐辛子が味の決め手になっている。タイ人が考えるスパイシーの意
味は一番重要な唐辛子の香りや辛味が際立つことだ。
つまりスパイシーというのはタイでは辛いと同意語なのだ。

こんな自分の体験からも味をカタカナ英語で表現するのは危険だと
言っている。俺のタイでの経験からも、日本人が感じるスパイシーな
感覚は英語国民が感じるスパイシーな感覚とは違っているのは明
らかだ。味は日本語で伝えていかなくてはいけない。
カタカナ英語で味を伝えていると、「ふくよか」「芳醇」なんて感覚を
日本人は失ってしまう。

食品総合研究所では言葉と味の関係を調べていると今朝の読売
新聞は報じている。ジュースを飲み比べる時、それぞれを区別する
ラベルを数字から「レモン味」「コーヒー味」などの言葉に替えた。
味とラベルのイメージが一致するとおいしさや新鮮さへの評価が上
がったと書いてある。

意味の分かりにくいカタカナ英語で味を表現するのは、味を数字で
表現するのに似ている。味をカタカナ英語で表現していると、日本人
が持っている味の感覚を失ってしまう危険がある。
カタカナ英語のスパイシーをローマ字にしてspicyと言えば誰でも同じ
感覚を想像できるか?同じspicyという単語を使っても日本人とアメリ
カ人では感じ方が違う。前述したように、タイ人が感じるspicyは日本
人、欧米人とはまるで違う。

カタカナ英語で風味を表現することが流行ると、日本人はスパイシ
ー、マイルド、ジューシーでしか味を表現できなくなる。
日本人は味をもっと細かく繊細に感じる能力がある。それを失っては
いけない。

2009/12/27

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