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2010年6月 3日 (木)

外食が日常の食事

俺たちが外食産業というとファミレスとか居酒屋チェーン、個人経営のラー
メン屋なんてものを思い浮かべる。
日本の場合、食事は家で家族と共に食べる物という考えが定着している。
サラリーマンの昼食のように、今日はラーメン、昨日はカレー、明日は牛丼
というのは、家庭と職場が離れすぎ、弁当を持ち歩けない人が食べる例外
的食事だ。
家族揃って食べるのが日常的食事とすると、外食は非日常的食事になる。

母親が作った食事を家族揃って食べるのが正しい食事のあり方と日本人
は考える。コンビニ弁当や、ホカ弁が流行り、こんな感覚は薄れてきたが、
買ってきた料理を食べるなんて、買い食いと言って蔑まれる。虐待された
子供の記事を見ると、「いつもコンビニ弁当を食い、母親の手作りの料理を
知らない可哀相な子供」なんてことが書いてある。
母親の愛情がこもった食事が一番と言う考え方が日本人にはまだある。

同じ釜の飯を食うことで家族や仲間が同じ共同体に属していることを日本人
は確認しあっている。絆を作るために同じ飯を一緒に食べるのが日常的
食事だ。

外食産業は空腹を満たすという役割の他に、夜の居酒屋のように食べる
娯楽を提供する役割もある。食べる娯楽は非日常的食事と言える。
家で家族と一緒に食べるのが日常的食事で、金を出して食べる食事を
非日常的食事と考えても良い。

これがタイに行くと母親が作り、家族で食べる日常的食事は少ない。
特に朝食では日常的食事は少ない。タイの外食産業は二極化している。
空腹を満たす日常的食事を提供する外食、つまり母親の代役を勤める
仮想日常的食事を提供する外食が一方にある。
もう一方は食べる娯楽を提供する外食に完全に二極化する。
日常的食事を提供する店では、食べる娯楽を提供しない。
食べる娯楽を提供する店は日常的食事を提供しない。

一般的アパートでは家で食事を作ることを前提にしていないから家に台所
がなく調理できない。その代わり、家からちょっとでると何らかの食事を売る
店が何処にでもある。足を伸ばせば、食いたい食事を売る店が必ずある。
日常的食事とは店から買って来て食べる物と言うのがタイ人の考え方だ。
独身の場合、自分で食材を買って来て自炊しても、安上がりになるとは限
らない。むしろ、買って来た方が安上がりになる場合がある。

話が横道に入るが、自分で食事を作らないから、料理を作れないタイ人が
多い。

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村の中にあるこんな店が日常的食事を提供する店だ。都心の場合、この
ような店の場合もあるし、屋台のばあいもある。天秤棒を担いだ露店の場
合もある。五人家族なら五個の食事を買って帰る。
同じ食事の場合もあれば、五個とも違う食事の場合もある。
村の人はそんな店で飯を買い、職場や学校に向かう。或はその店の食卓
で食事を済ませて職場や学校に行く。

日本人の常識では、外食産業は駅前や商店街でしか成り立たない。
なんでこんな所でと思われる場所で外食産業が成り立っている。
店で買って食事をするのが、タイの日常的食事だから、通勤・通学途上に
ある店なら繁盛する可能性がある。幹線道路から遠く離れた路地でも日常
的食事を提供する外食産業はなりたっている。村の人口は少ないが、
毎日のこととなると、それなりの規模の店をやっていける。

タイで食べる娯楽を提供する店はエアコンがあり綺麗だ。
庶民にはなかなか手が届かない店になる。
所得階層によっては日常的食事を提供する屋台で食事をすることが食べ
る娯楽になっている。

2010/5/1

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