敗残兵が食べた料理
インパール作戦の失敗で多くの敗残兵がビルマからタイに逃げ込
んだ。いろいろなルートがあったが、ビルマからタイのチェンマイに
入り、そこからバンコックへの数百キロの道を歩いて進んだ。
どの兵も疲労困憊し空腹だった。
当時のことをつづった手記を読むと村人から食事を貰ったという記事
が多い。余りにも哀れな姿の敗残兵を見て村人は同情し食事をあげ
たのだろう。敗残兵を待ち受けていたのではなく、たまたま通りかかっ
た敗残兵の姿を見かねて食事を差し出したのだろう。
と言うことは敗残兵のために特別に作った食事ではなく、村人の食べ
残しの食事、余った食事だ。村人が普段食べている食事を与えたの
だと思う。タイの食事の殆どは辛い食事だ。村人が食べている辛い
食事を日本兵に与えたと推定できる。
手記の中には食べ物を貰いほっとした、助かったという村人への
感謝の気持ちを綴る手記が多い。
俺はそのような手記を読むと不思議な気がする。
日本人旅行者の多くはタイ料理は辛くて食べられないと言う。
敗残の日本兵も今日のタイ旅行者と同じような味覚の持ち主だと思
う。当然、タイ料理は辛くて食べられないと感じるはずだ。
空腹の極限、飢餓の状態になると食べられるものなら何でもよくなっ
てしまうのだろうか?
命をつなぐためには食べなくてはいけない。
辛くて食えないといったなら死んでしまう。
「唐辛子で口の中が火事になったからもう食えない」なんて言うの
は贅沢なのだ。空腹の極限に達すると、辛かろうが、口の中が火事
になろうが食べられるものは何でも食べてしまうのだろう。
2010/10/10
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