拷問食
拷問食なんて言葉は辞書にない。俺の造語だ。
拷問食と言うと、捕虜や罪人にまだ食え、それ食えと食事を口から押し
込める食事と思っちゃう。
フォアグラを作るために鵞鳥に無理矢理、飯を食わせて肝臓を肥大さ
せる。あれはまさしく拷問食かもしれない。
その昔、旅行でタイに来た時は現地の料理ということで辛さを楽しんで
いたかもしれない。生活でタイに来ると、好き嫌いは別にしてタイ料理
を食わなくてはいけない。どの料理が辛くて、どの料理が辛くないか、
そんなことは知らない、わからない。
なんでも食ってみて、辛さに悲鳴をあげた。
そのうちに好きな料理とそうでない料理、辛い料理と辛くない料理が
分かってきた。
「こりゃ、美味い!」気に入ったが辛い。辛さをこらえて食った。
腹が空いているからもっと食いたいのだが、もう辛くて食えなくなった。
「まだ空腹だ。でも口の中が火事でこれ以上食えない!」
恨めしそうに皿に残った料理を見る。
タイ人の家庭で料理を出される。出された料理を平らげるのが礼儀だ。
「日本人だから、辛い料理は駄目」と多くのタイ人は知っているので、
俺が料理を残しても誤解はしないと思う。中には失礼、無礼と感じる
タイ人がいるかもしれないので、ひぃひぃ言いながら辛い料理を食う。
まさに拷問だ。つらいのだが、笑顔を作りながら食う。
たどたどしいタイ語で冗談を言う。
どんな悩みがあってもステージでは笑顔を振りまくタレントと同じ姿だ。
辛さを和らげようとビールを飲むが、口の中が冷えるだけで辛い炎
は消えない。やっとの思いで一皿を平らげる。
「これで拷問から解放される」はぁーっと一息つく。
バンコックには粒胡椒が鈴なりになったまま入れる料理がある。
残してはいけないと思うから、辛そうに粒胡椒を食べていると
「それは食べなくてもいいのだ」と教えられた。
その時は本当に助かったと思った。
昔の体験を思い出すと「あれは拷問食だったな」なんて思ってしまう。
俺だけでなく、こんな拷問食の経験をした日本人は多いだろう。
2011/11/8
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